昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

飽きの現象学 結

とりあえず、今回の飽き論はここで終了です。 飽きについてはちょっと前から考えていて、ちょくちょくメモしてました。今回はとりあえず今あるメモ書きをまとめたらすぐ終わるかなーと思って始めたけれど、書いてるうちにいろいろと考えがまとまったり変わっ…

飽きの現象学 3.4 飽きないもの――神、排泄等の低級欲、言語、依存。

ここもメモ程度。 ●神に祈ることに飽きてはならない。そして祈りは形式化してはならない。 ●楽しみに飽きた時、人は別の楽しみを探す。では、楽しむことに飽きると言うことは可能か?この点はよくわからない*1。 ●何度も述べたように、飽きない場合とは、も…

飽きの現象学 3.3 現代社会における飽き

●飽き飽きしている人間は、選択肢を多く抱え、様々な欲求を持つことが出来る時代にのみ現れる。彼らは、ある意味では幸福な世代である。飽き飽きという感覚は恵まれている者にしか感じることは出来ない。 ●選択肢のない奴隷、頭が凝り固まった偏屈な者、被支…

飽きの現象学 3.2 飽きは「芸術家は自分を深く見つめなさい」という言説を説明する。

●「アーティストは、回りに流されずに、自分をしっかり見つめることが大事だよ」としばしば言われる。(cf.リルケ『若き詩人への手紙』) ●これホント?自分をしっかり見つめても良い作品・認められる作品が作れるとは限らんのではないかね?自分の独りよが…

飽きの現象学 3.1 飽きは美術史における様式の変化を説明する。

●個人的な反応についてではなく、マクロな視点から飽きを考えてみると、様式の変化、流行の変化には飽きが介在していると言える。(もちろん最近の流行の変化は、むしろマスコミやファッション産業の意図が大いに絡んだ単なる営業戦略によるところが大きいが…

飽きの現象学 第三章 飽きの考察から見えてくるもの

最後に、いくつか思いついた論点を並べておく。 論旨の方向性はまだバラバラでまとまってない部分も多々あるが。 今後の議論の発展性も踏まえて。

飽きの現象学 2.5 飽きと作品の存在論に与える影響

●「飽きる」と「見なくなる」との違い。そのとき作品の存在論に違いは出るのか?また、飽きという認知的な要素が存在論に介入するなら、そのとき作品の存在論はどうなるだろうか?その存在論は非常にアドホックになるだろうか? ●たとえば、作品に飽きたとき…

飽きの現象学 2.4 飽きの効用?

●人は飽き続けるわけにもいかない。飽きへの気づきは次への運動を方向付けるだろうか?つまり、飽きは次への志向への促しとなるだろうか? ●はっきりいって、これはよくわからない。現象学的には、我々は飽きと次の志向とのつながりを見ることはおそらく不可…

飽きの現象学 2.3 飽きと反省との関係

●「というか別にこれ美的体験に限った話ではなく、志向的行為全般に言えることじゃね?」という突込みが来るかもしれない。確かに。その点だけ見ると、この両テーゼは、たいしたテーゼではない。 ●だが、このテーゼに「反省」という要素を加えて、もう少し美…

飽きの現象学 2.2 感性‐飽きの一体説 the Aesthetic-Boredom unit theory

●しかし、ここまで見てきたように志向性の観点からすれば、感動を終わらせるのが飽きである。この観点からすれば、美的体験を終了させるのは、なんらかの飽きだと言える(かなり弱い飽きであったとしても)。 ●感性的体験は必然的に飽きを伴う。感性的体験は…

飽きの現象学 2.1 感性‐飽きの二元論 the Aesthetic–Boredom dualism

●作品などによって心が動かされる体験を感性的体験とするならば、その対立概念は飽きである。 ●しばしば、「美」の対概念は「醜」だと言われてきた。しかし、これは「美」をひとつの美的カテゴリーとしてみる場合に限る。この場合「美」も「醜」も、どちらも…

飽きの現象学 第二章 飽きの美学

『飽きの現象学』第二章 飽きの美学 ●飽きについての考察は、美学における「美の永遠性」という考え方に異議をとなえる。永遠の美とは単に机上の空論であり、そのような美は存在しない。「飽きないもの」という美の定義は覆されるべきである。 ●また、芸術体…