昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

飽きの現象学 3.2 飽きは「芸術家は自分を深く見つめなさい」という言説を説明する。


●「アーティストは、回りに流されずに、自分をしっかり見つめることが大事だよ」としばしば言われる。(cf.リルケ『若き詩人への手紙』)
●これホント?自分をしっかり見つめても良い作品・認められる作品が作れるとは限らんのではないかね?自分の独りよがりで変な作品ができるのではないかね?こういった疑問が沸くだろう。


●飽きという要素を考えると、このような「自分をしっかり見ろ」言説を理解できるようになる。
●芸術家本人が自分の飽きの感覚に対して敏感でさえあれば、〈自分を見つめること〉が〈社会に対して刺激的な作品を創作すること〉へとつながる。飽きの要素のひとつは「刺激への慣れ」であり、その刺激とは当代の現代社会全般から受けるものであるから、〈自分の慣れの感覚〉に敏感さを保つことができれば、自分の感覚が社会全体の感覚とそこまで隔たることは避けられる。
●そこに飽きの別の要素である「欲求」が加わり、その飽きの不満が新たな創作へ昇華されれば、創作は決して独りよがりの創作に向かうことにはならない。
●(逆に言えば、社会と断絶した厭世人は、自分をどれだけ見つめても、世間に認められる作品を創ることができないかもしれません。)


●ある仕事の価値を他者との比較によって決めるのはよくあることだ(そこではしばしば独創性がひとつの価値基準となる)。そして、同じ社会に属している以上、芸術家が自分の個人的な新奇さ・楽しみを基準においていても、必然とそこに本人と他者との比較構造は含まれてこざるをえない。「アーティストは自分をしっかり見つめなさい」という神話的言説は、アーティストが時代に属しているかぎり、そして時代の流れをある程度把握しているときにかぎり、あながち間違った言説ではない。


●しかし、これは単に「時代が飽きているものを創るようにはならない」といった程度のことでしかなく、結局、時代が面白いと思えるものを発想できるかどうかは、もはや天才の領域。そこに自分を見つめることがどれだけ役立つのかはよくわかりません。