昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

2009-03-01から1日間の記事一覧

飽きの現象学 2.5 飽きと作品の存在論に与える影響

●「飽きる」と「見なくなる」との違い。そのとき作品の存在論に違いは出るのか?また、飽きという認知的な要素が存在論に介入するなら、そのとき作品の存在論はどうなるだろうか?その存在論は非常にアドホックになるだろうか? ●たとえば、作品に飽きたとき…

飽きの現象学 2.4 飽きの効用?

●人は飽き続けるわけにもいかない。飽きへの気づきは次への運動を方向付けるだろうか?つまり、飽きは次への志向への促しとなるだろうか? ●はっきりいって、これはよくわからない。現象学的には、我々は飽きと次の志向とのつながりを見ることはおそらく不可…

飽きの現象学 2.3 飽きと反省との関係

●「というか別にこれ美的体験に限った話ではなく、志向的行為全般に言えることじゃね?」という突込みが来るかもしれない。確かに。その点だけ見ると、この両テーゼは、たいしたテーゼではない。 ●だが、このテーゼに「反省」という要素を加えて、もう少し美…

飽きの現象学 2.2 感性‐飽きの一体説 the Aesthetic-Boredom unit theory

●しかし、ここまで見てきたように志向性の観点からすれば、感動を終わらせるのが飽きである。この観点からすれば、美的体験を終了させるのは、なんらかの飽きだと言える(かなり弱い飽きであったとしても)。 ●感性的体験は必然的に飽きを伴う。感性的体験は…

飽きの現象学 2.1 感性‐飽きの二元論 the Aesthetic–Boredom dualism

●作品などによって心が動かされる体験を感性的体験とするならば、その対立概念は飽きである。 ●しばしば、「美」の対概念は「醜」だと言われてきた。しかし、これは「美」をひとつの美的カテゴリーとしてみる場合に限る。この場合「美」も「醜」も、どちらも…

飽きの現象学 第二章 飽きの美学

『飽きの現象学』第二章 飽きの美学 ●飽きについての考察は、美学における「美の永遠性」という考え方に異議をとなえる。永遠の美とは単に机上の空論であり、そのような美は存在しない。「飽きないもの」という美の定義は覆されるべきである。 ●また、芸術体…