昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

『よつばと』のユートピア批評について

家庭教師の生徒(中2)から『よつばと!』を借りて読んだ。
以下、思ったことをいくつか書きますよ。(長いよ!しかもちょっと小難しい話。)




日常生活のほのぼのさを描いたマンガとしては、最高レベルだと思う。
ただ、『電撃王』という掲載紙の関係からか少しオタク臭があるかもしれない。
(『団地ともお』や『クレヨンしんちゃん』などと比べるとわかりやすい。)
が、問題はこれを中学生(バリバリのスポーツ少年)も読んで面白いと思っているのだから、その点で、この作品をオタク文化からのみ語るのは少しバランスを欠いているだろう。


気になったのは、この作品が一部でオタにユートピアを与えるという点から批評されているという点だ。
(例えばコレ→あずまきよひこ『よつばと!』
このようなユートピア批評はどうか。
確かに、この作品の提示するのはひとつの理想的世界である。
俺ももこんなのんびりとした生活がしてみたい。
そして、作品を読んだ後に一獏の寂しさを覚えることはあるだろう。



しかし、まず、作品体験を終了させるときの虚無感と、その後の現実世界に対する虚無感を混同してはならない。
ここには悲劇の快のパラドックスに似た誤謬がある。
確かに我々は『よつばと!』を読みながらそのユートピアを体験するが、そこからの離脱がもたらす虚無感はユートピアを離れる虚無感ではない。
それは単に作品体験を終了して現実へ戻る虚無感であって、これは作品体験一般に総じて当てはまる虚無感である。
サルトルはこれを「嘔吐」という言葉で表現する。)
この虚無感を得るには、その作品世界がユートピアでなくともかまわない。
悲劇的作品から逃れるときも虚無感はあるのである。



その虚無感と、作品が提示する理想像と現実とを照らし合わせたときの虚無感はまた別物だ。
確かに、理想的世界を提示する作品を読んだ後で、現実世界の退屈さに少しさびしくなることはある。
この観点から、特に現実とヴァーチャルの混同は最近のひとつの問題となっている。
(「三次元の女性は嫌だ」といった二次元世界への没入の問題。はたまた、AV見すぎの少年が痴漢をして「ビデオでは喜んでたから・・・」と証言したとかの事例。)
しかし、そのような言説を『よつばと!』のような作品にあてはめ、このような作品自体を悪と判断するのは適切ではない。
それは、議論のレベルが別の問題だ。




そもそも『よつばと!』はオタクの欲望のみを提示しているわけではない。
オタク文化を知らない中学生が読んでも面白い作品なのだ。



ユートピア批評に欠けているのは「美化aestheticization」という考え方である。
むしろ『よつばと!』という作品は「美化」の側面から考えた方が良いのではないか。
このaestheticizationというのは少し前に美学の領域でちょっとしたブームになった概念で、表層的な美化とか深層的・内面的な美化とか、いろんなレベルで用いられる複雑な概念である。
(えらそうに語っていてなんだが、俺もまだよくわかっていない。)
その一つとして、ここでは「美化」という考えかたから見えてくる一つの現象に注目してみたい。
それは、ある対象を「美しいもの」として見るという現象である。
ここで問題なのは、もともと「美しいもの」があってその「美しさ」を我々が見てとるということではなく、今まで単純に見ていたものを、何かをきっかけとして、「美しいもの」として見るようになるという点である。
藝術作品の働きの一つは、この「美化」のきっかけを与えるという点にある。
つまり、作品を体験することによって、現実世界が生き生きと捉えられるようになるのだ。
よつばと!』はこの「美化」のきっかけを与えるという点で秀逸な作品であると思う。


これは、作品を単なる現実逃避としてしか捉えないユートピア批評とは、まったく逆の捉え方である。
作品は単に現実逃避を与えるだけのものではない。
そもそも作品体験を現実世界ときっぱり分けて考えるのはおかしい。
作品は体験として読者の内に抱え続けられ、その後、知識や経験として現実世界と関わりをもち続けることになるものなのである。
(作品とヴァーチャル世界とを分けて考え、そこから安易に現実と想像世界の混同を危険とする人には、ちょっと待てと言いたい。)

問題は作品世界と現実世界を如何に接続させるかという点にあるのであって、ヴァーチャルな世界を総じて悪とする考え方は明らかに間違っている。
そして、『よつばと!』は多くの人にとっては読んで元気が出るマンガであるはずだ。(でなきゃこんなに売れない。)
よつばと!』を手の届かないユートピアの話と捉え、読んだ後に現実世界に対してやる気が出なくなるマンガとしてしか見ることができないのなら、それは読む側の問題であって、作品のせいではない(と、俺は思う)。


よつばと! (6) (電撃コミックス)

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