えー、先日、「分析美学で一本論文書くぜ!」と偉そうに宣言しましたが、
紀要に出したら、うちの社長にダメーとリジェクトされたので、載りません。
期待していた方(もしいたらの話ですが)、すいません。
特にこの後どこかに投稿するという感じでもないし、
まぁこのまま、お蔵入り論文になりそうな感じです。
分析美学の発展に貢献できず・・・ざんねん。
内容としては、Kendall Waltonのごっこ理論を、20世紀後半以降のフィクションに関する情動論争の観点から扱おうとしたものでした。
幸い、友達で興味ある方々は、それでも読んでみたいとおっしゃってくれまして、その方たちにはデータプレゼントしました。
でも、よく考えたら、近年の情動論争に興味持ってる人とか、「分析美学ってなんなの?」という人とか、潜在的にそこそこの数いそうなんですよね。
リジェクトされる程度の論文ですけど、もし興味がある方で、読んでみたいという方がいらっしゃるなら、データお送りします。
メールください。
(morinorihideあっとまーくhotmail.com)
「わっかんねーよ、馬鹿!出直せ!」って叱ってくださると、今後の勉強になります。
いちおう論文の構成を挙げときます。
「Literally Fearing Fictions――K. ウォルトンの情動理論を中心に――」
- 序
- 1 情動論争の概要と、ウォルトンのごっこ理論Make-Believe Theory
- 2 思想説Thought Theoryに対するウォルトン理論のメリット――情動の対象を現実化する考え方に対して
- 2.1 フィクション鑑賞における擬似情動は、鑑賞者の態度によって規定される――ノエル・キャロルの、リアルな恐怖に対して
- 2.2 反応は現実のものであり、そこには鑑賞の複合的要素から判定されるもっともらしさがある――ピーター・ラマルクの、命題内容によって合理化された恐怖に対して
- 3 ウォルトンの「ゲームワールド」概念
- 3.1 鑑賞者自身の虚構世界への拡張、鑑賞者の虚構化――アレックス・ニールの、現実の哀れみを虚構的対象に対して抱くことができるという主張に対して
- 3.2 情動の対象について、そして、鑑賞の原理についての説明力――ステファン・デイヴィスの、漏れ出した恐怖に対して
- 4 ウォルトン理論の抱える問題――虚構性の過剰拡大
- a)対象が目の前にいない情動
- b)神話、ノンフィクション
- 結論と展望
主に扱った文献は、
- Walton, K. “Fearing Fictions.” Journal of Philosophy 75 (1978):5-27.
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- Mimesis as Make-Believe, Harvard University Press, 1990
-
- Carroll, N. The Philosophy of Horror: Routledge, 1990.
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- Carroll , N. “Critical Study: Kendall L. Walton, Mimesis as Make-Believe”, The Philosophical Quarterly 45, (1995),
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- Lamarque, P. 1981. “How Can We Fear and Pity Fictions?” British Journal of Aesthetics 21 (1981):291-304.
- Neill. A. “Fiction and the Emotions.” American Philosophical Quarterly 30, (1993): 1-13.
- Davis, S. “Responding Emotionally to Fictions”, the Journal of Aesthetics and Art Criticism 67, (2009): 269-84.
あたりです。
さて。
しばらくは、サルトル研究者にもどります。フラ語フラ語。
とりあえず、来月頭に大阪! それ終わったら奈良に鹿煎餅を食べに行く予定。
Mimesis as Make-Believe: On the Foundations of the Representational Arts | |
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