昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

 自然と芸術と美と教育


今日は真面目な話。





http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1014870.html
これを見て
  ↓
ここに行ったわけだが
http://www.kyoto-wu.ac.jp/~tutida/index.htm


最後の二つの文章を読むと、「環境美学」って、今しっかりやっとく意味はあるなと改めて思った。
(ウチの教授は今年度から「環境美学」で科研費とった。)


で、調べると、この教授リアルタイムでまだ教鞭とってるっぽいので、ちょっと突っ込んどく必要があるなと思った次第。



突っ込むべきところは多々あるのだが、速攻で突っ込むべきは、
「芸術・美・自然とかを簡単にくっつけすぎ」
ってところ。


・美的教育を安易に信頼しすぎ


ってな部分も気になるが、それは放っとく。





おそらく、この土田教授は


1)自然=善(ガイア説?)


2)美=芸術(古典的芸術理論)


てな枠組みがあったところに



3)善=美=真(カロカガティア)
って理論を持ち出して、
さらに美的教育の理論で補完。


そして、単純かつ素朴に
結論)自然=善=美=芸術
   →教育へGO!


と進んでしまったように思われ。(かなり暴力的なまとめだが)



この論理展開は、そう簡単には成り立ちませんよ。
つーかそもそもはじめの2つの式自体、怪しいってことにもう少し注意して欲しい。




いくつか批判点だけ挙げとく。


1.現代に於いては、もはや必ずしも「芸術=美」ではない。
  とりわけランドアートとか現代芸術を引き合いに出すなら、もう少しこの点を自覚して欲しい。


2.「自然=美」も普遍的な考えではない。
  むしろ、自然は「恐るべきもの」と考えられていた時期もある。
  自然を美しいものと見るためには、何らかの「枠組み・仕掛け」が必要だということは認識すべき。
  (例えば、自然を美と見るためには「心理的距離」が必要だという考え方。(バロー)
   荒々しい嵐を美しいと見る場合を考えて欲しい。)
  近代以降、人間と自然との力関係が変化し、自然を美しいものとする考え方が広がってきたが、
  現代でも、「自然は常に美しいわけではない」という考え方をする論者はいくらでもいる。
  (もちろん自然こそが美だとする論者もいる。この辺の論者・論点は誰かきちんと整理する必要がある。ぼくら学者の仕事ですね。)


3.自然美と芸術美との関係が曖昧
  この点は、土田教授がどうかんがえてるのか分からんから、下手なコメントは避けとく。
  ただ、この2つの美は直結するのは難しい。
  そして、自然破壊しつつ美しい(とされる)ものはいくらでもある。たとえば花火とか。
 



以下、感想


別に、やってること自体は悪いことではないし、それで教育的になにか良い効果もあったりするんだろうから、やる分には「どーぞご自由に」って感じです。
下手な理論書かんで、純粋に教育プログラムってことでやっときゃいいじゃないか。
「カント」とか「カロカガティア」とか色々引っ張って理論に箔つけようとしているが、失敗して余計胡散臭い理論が出来上がっているよ。
はっきり言って、この理論は説得力に乏しい。
なぜなら、こんなに長々と書いている割には、持論を当然のように主張するばかりで、反論を考慮していないから。
(その意味でこれは宗教に近い。)
少なくとも、大学教授の肩書きを出して公に自説を主張するならば、その論に対する反論については、もう少し自覚していただきたい。



「自然について考えさせよう」という狙いを持ってアートやってるわりには、アート・自然そのものについてあまり考えていないんじゃないか。