昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

プチ独り暮らし

  
同居人が海外旅行に行った。
もう一人の同居人も、仕事で「旅行かよ!?」ってくらい帰ってこない。
(一週間無言で家を空けるなら、生存連絡くらいせれと言いたい。)
3LDKに独り。
勉強にはもってこいの環境である。


東京に出てきて8年になるが、未だに一人暮らしというものを体験したことはない。
はじめの5年は兄と暮らし、その後は友人とルームシェア
基本的に誰かと暮らしている。
こんな形で、たまにふとしたことで1人になっても「やった自由だー」とはあまり思わない。
逆に「毎日こんなんだと気狂うんじゃないか」と思ったりもする。
多くの友人が「一人暮らしはいいぞー」って言ってるけど、あまり共感はできない。
寂しがりやだということは、自他共に認めるところ。
断固として共同生活派である。


最近友達に「一人暮らしすれば人生変わるよ」と言われた。
まぁ今後何十年も友達と住むわけにはいかんだろうから、いつかは一人暮らしをすることになるのだろう。
そのとき俺の人生はどっち向きに変わるんだろうか。
勉強に集中できるようになって、バリバリ仕事が進むのか。
それとも寂しさのあまり娯楽に逃げ、あまり勉強しなくなるのか。
ひょっとして精神病んだりするかな。
とりあえず、家はすごい散らかってそうだな。
プリントと本と服が散乱。
日当たりが良ければ、葱は育てたいところ。
(ちなみに先日植えた葱は、一緒のプランターに植えた紫蘇に栄養を取られ、全滅しました。)



つーか、そんなこと今考えてもあんま意味無いってことに気づいた。
なる様にしかならんし。
つーか何でこんなこと考えてんだか。
未来を妄想する意義って何ぞや?
これはこれで興味ある疑問ではあるが、あまり生産性のある問いではなさそうだ。
ここで、「何故こんなことを考えているのか」という疑問文が無限連鎖可能ということに気づく。
「『何故こんなことを考えているのか』と何故考えているのか」と何故考えているのか・・・・


はい。
とっとと思考停止。
世の大抵の疑問はどこかで思考停止しなければならない。
むしろ「その問いがどこで思考停止しているのか」を見極める必要がある。
お、何かちょっとかっこ良さげなテーゼが出た。


寝る。




明日は朝一で兄とサッカー。
健康で良かった。