先日、とある学部生が分析美学は面白いよ、というブログ記事を書いてて、
http://ertb.hateblo.jp/entry/2015/05/30/223856
それを受けてtwitterで松永くんがちょっといいこと言ってました。
分析美学にかぎったことではないけど、美学者はもうちょっと「美学の問題のポイントがよくわかるしもっと勉強して考えたい」みたいな感想を学部生から引き出すことに注力したほうがよい
— matsunaga s:3D (@zmzizm) May 30, 2015
美や芸術やセンスについて自分が日ごろ考えているあれこれが美学のなかでどういうふうに整理されて掘り下げられて論じられておりますというのを知るとっかかりがほんとになかったし、たぶんいまもないんだろう
— matsunaga s:3D (@zmzizm) May 30, 2015
まぁ入門書的な教科書については数年前にまとめた(2012-01-12)んですけど、美学的な問題に興味持った人へのガイドというものは、もうすこし整える必要があるんだろうな、という気はつねづねしています。
というかほとんどのひとは、いちどは芸術とか文化について何かしらの疑問をもったことがあると思うんですよ。そしてわれわれ美学者はそういう人に向けて、こういう学問があるんだよ、と提示できるようにしておかないといけないんですよね*1。
そもそも美学という学問の認知度がかなり低いこともあって、「美学について勉強したい!」という言葉が普通の人から出てくることはあまりない。ここにちょっと不幸な状況がある気がします。美学者たちが考えてきた問題には、多くの人が興味持ちそうな問題がたくさんあるんですけど、そういう事柄について考えるためのガイド・地図が整ってないどころか、そもそもそういう学問があることそれ自体があまり知られてない、という。
なんとかしなきゃいけないですね。これは一人が頑張ってどうにかなる問題でもないので、もっと業界的にみんなで頑張る必要があるんですけど。
というわけで、取っ掛かりとして、英語圏の美学ではどのような問題が考察されているのか、という観点からまとめてみました。
まとめてみたというか、項目は英語圏の教科書のひとつThe Routledge Companion to Aesthetics, 3rd editionの第2部、第3部そのままです。
ざっと私が理解してるかぎりで、どういうトピックなのかの解説を付けておきます。
こういう問題が議論されてるんですよ、という紹介ですね。
ちなみにこの記事、長いです。よろしく。
Part II
芸術の定義(Definitions of art)
- 英語圏美学お得意のテーマです。芸術はそもそも定義できるのか、できるとしたらどのように定義できるのか、どこからどこまで芸術に含めるべきなのか、みたいなことが議論されます。概ね「芸術」概念の必要十分条件を探そうとして発展してきたトピックです。
- この議論を知っておくと「ゲームは芸術なのか」みたいな議論にも応用できます。
- 『分析美学入門』第5章。
芸術のカテゴリー(Categories of art)
- こっちはこんどは、各芸術はどのように分類されるべきか、という話です。絵画、写真、映画などはそれぞれ「メディア」が異なるとされますが、そうした区分は何に基づいているのか、またその区分は観賞にどのような違いをもたらしているのか、といった問題があります。
- ケンダル・ウォルトンによる超有名論文「芸術のカテゴリー」は現在翻訳中。→翻訳しました。発売中K. Walton「芸術のカテゴリー」|morinorihide
芸術の存在論(Ontology of art)
- ここで言われる存在論とは、世界に存在する各存在者はどのような基準で分類され、どのような枠組みで整理されるべきか、といった学問です。
- 芸術作品についてそういう考察を行った場合、文学作品、音楽作品、彫刻作品などの個々の作品はいつ同じで、いつ始まり、いつ終わるのか、といったことが問題になります。この分野の一つの目標は、各芸術作品の存在条件(どういう条件がそろったら作品は存在するのか)、持続条件(どういう条件がそろったら作品は存在し始め、どういう条件が欠けたら作品は無くなるのか)、同一性条件(どういう条件がそろったら複数の存在者が「同じ作品」といえるのか)、などを探すことです。
- 『分析美学入門』第6章。
美的なもの(The aesthetic)
- 「美的」とは日本語では「感性的」とも言われます。これは芸術についてだけじゃなくて、自然美や日常的人工物などさまざまなところに当てはまる概念です。芸術以外の品々にも美的経験や美的判断はなされるのですね。そしてこれは単なる「美beauty」の経験とも区別されます。人によってはネガティブな経験(「醜い」とか「ダサい」とか)もここに入れます。美的経験、美的判断、美的性質などについて考えるトピックがこれです。
- 『分析美学入門』第3-4章。
趣味(Taste)
- こちらはもっと伝統的な概念。昔は「美的判断」ではなく「趣味判断」という語がつかわれてました。
- 「趣味については議論できない」「蓼食う虫も好き好き」とかいうけど、その一方で「あいつ趣味悪い」とか言うよね。それどう説明すんの?というのが基本問題です。
- そこから、趣味の違いについてどう考えるか、とか趣味判断の規範性はどこから生まれるのか、といったことが議論されていきます。趣味判断は社会的に構築されてるのだ、とか考える人達は、ここからジェンダー美学に進んだりも。
美的普遍性(Aesthetic universals)
- 人類のあいだで美的経験の普遍性はあるのか、とかそういうの。
- 伝統的美学のなかで美的判断の普遍性はどう考えられてきたのか、とかそうした美学史の話もします。
- 実験美学とか心理学的美学とかの話も。あとは相対主義vs普遍主義の論争とか。
芸術と進化(Art and Evolution)
- 進化論的な観点から芸術はどのように説明されるか、というトピックです。ダーウィンは基本図書。
- 最近は神経美学者たちもこのトピックに参入して活躍してますね。川畑秀明先生の『脳は美をどう感じるか』にも一部こうした議論がありました。
- Stephen DaviesのArtful Speciesはけっこう話題を呼びました。
芸術の価値(Value of art)
- 芸術の価値はどこにあるのか、どのように説明されるべきか、といった話です。
- 芸術が多様化した現在において、価値の説明をちゃんとするのはとても大事。もはや単純に「芸術の価値は美だ」とかで話を終わらすことはできない時代なんすよ。教育的価値とか経済的価値とかいろんな問題を考慮しなきゃいけない。
- 『分析美学入門』第11章。
美(Beauty)
- もちろん、美についてちゃんと考えようという人たちもいます。美学者たちは美について考えなくなった、というわけではありません。
- 感性的経験のなかにもとりわけ特別な経験がありそうだ、という直観は否定しがたいところがあります。これなんとか説明したい。
- 美についての歴史的見解をたどる美学史的な作業もやりますし、快や精神との関係についても考えます。心の哲学にも接点アリ。
解釈(Interpretation)
- 作品解釈とは何をすることなのか、解釈の目標はなにか。
- 解釈に作者の意図はどう関係するのか、それとも関係しないのか、といった議論もやります。意図主義vs反意図主義の対立をめぐって、20世紀後半にどんどん議論が洗練されていきました。いまは分析美学者の多くは「作者の死」とか言いません。
- 『分析美学入門』第7章。
想像とごっこ(Imagination and make-believe)
- 想像という経験は芸術経験の色んな場面で重要な役割を果たしています。
- 歴史的にも、さまざまな論者がいろんなことを言ってきました。最近では心理学的な知見を導入しつつ、想像経験については議論が進んでいます。
- ケンダル・ウォルトンのごっこ遊び理論(make-believe theory)は20世紀後半の美学のさまざまなトピックに影響を与えました。
- 信じることと想像はどう違うのか、想像は感情にどのように影響するのか、などなど。この議論が以下のフィクション、メタファー、描写といったトピックに結びつきます。
フィクション(Fiction)
- 主にフィクション経験についてどう考えるか、という話です。作品ジャンルとしての「フィクション」をどう定義するか、またフィクションを作るにはどういう条件が必要なのか、といった話から、上の想像、ごっこ遊びの議論と結びつけつつ「フィクション経験」をどのように説明すべきかという問題も扱います。
- フィクションと、ノンフィクション・ニュース(事実報告)・神話などとの違いを原理的に説明するのは、この分野のひとつの仕事です。
- また、なぜわれわれは事実でもないお話について怖がったり悲しんだりするのか、というフィクション観賞の情動をめぐる問題(いわゆる「フィクションのパラドックス」)も扱います。
- 『分析美学入門』第8章。
物語(Narrative)
- 物語の定義はなにか、テクスト・言説と物語はどう違うのか、またわれわれの日常経験において物語的思考・物語的理解はどのような役割を果たしているのか、といった問題を扱います。
- 基本的には文学や映画などがメインの材料となりますが、最近ゲーム業界などでは「ナラティヴ」という言葉がよく使われるようです。そのへんについて考えたいひとは、このトピックについてはかるく勉強しておくとよいかも。
メタファー(Metaphor)
- 隠喩論は分析美学にかぎらず伝統的な学問です。日本語でも良い著作はたくさんあります。
- 分析美学特有の話題としては、美的経験や批評のなかでメタファーがどのように使われるのか、といった話題があります。
描写(Depiction)
- そもそも画像とはなにか、画像経験とはどのような経験か、といった問題について考えるトピックです。
- あとは類似(resemblance)とは何か、といった問題もあつかったりしますね。似顔絵見るときの「似てる」って何なの、という話。
- 画像を見ることでわれわれは何を知ることになるのか、といった認識論的な議論もココ。
- 『分析美学入門』第9章。
Part III
批評(Criticism)
- そもそも分析美学という学問分野は、批評で用いられている言語使用を分析しようぜ、というところから始まった学問でもあります。
- 最近は批評の目的とは何か、批評はどのような作業で構成されるのか、といった議論がされてます。
- 現在ノエル・キャロルのOn Criticismを翻訳中です。うまくいけば来年出るんじゃないかな。
芸術と知識(Art and knowledge)
- 芸術から何を知ることができるのか、という認識論的な議論です。
- また最近は、芸術について知識を得るには作品を見る必要はあるのか、といった話が盛り上がってます。
- われわれ凡人は、そもそも芸術の価値を知ることができるのでしょうか? これ難問。
芸術と倫理(Art and ethics)
- 芸術的価値と倫理的価値はどう関係するのか、といった話ですね。20世紀終わりから21世紀頭にかなり議論が発展しました。
- なんで不道徳な作品とか暴力的な作品とかわれわれは評価してんの?という疑問に興味がある人はココ。
- ポルノグラフィーの価値とかも扱います。
- 『分析美学入門』第12章。
芸術、表現、情動(Art, expression and emotion)
- 芸術作品をつうじての情動表現について考えるトピックです。芸術作品の「表現主義」の理論的部分を考える作業もやります。
- 「悲しい」作品といった表現をどう理解すべきか、といった議論もここ。
- 『分析美学入門』第10章。
悲劇(Tragedy)
ユーモア(Humor)
- 芸術評価の重要な基準でもありますし、われわれの感性的経験の重要なパートでもあります。
- ただ諸説ありますよね。
- 最近『人はなぜ笑うのか』という本も出たのでこれ読むといいかも。
創造性(Creativity)
- 現代では芸術評価の重要な基準です。ただこういう評価軸が生まれたのは近代になってから、という点は押さえておきましょう。美学の基本です。
- 神の創造性と人間の創造性を分けたり、というのは昔からよくある議論だけど、分析美学者たちは現代的ないみでの創造性について考えてる感じ。
- ある作者の振る舞いを創造的だと評価するにはどういう条件が必要なのか、といった話から、どうやったら創造的になれるのか、という話がされます。
スタイル(Style)
- 「様式」と訳されたりもします。
- どうやったらスタイルが生まれるのか、とか、スタイルはどうやって同定されるのか、とか。
- スタイルって人に属するの?それとも作品に属するの?とか。ここから「生き方life style」の良さとかにも話は広がります。
- スタイルと形式、内容との関係について考えたりもします。
パフォーマンスにおける真正性(Authenticity in performance)
- 主に音楽作品の演奏をめぐってなされる議論。それほんとに正しい演奏なの、正統な演奏なの?といった疑問から始まるトピックです。
- 「ある特定の曲を演奏してる」と言えるためにはどういう条件を満たしていなければならないのか、といった議論がなされます。意図?音?楽器?などなどいろんな見解がある。
偽物と贋作(Fake and forgeries)
- 贋作はそもそも悪いのか、悪いとしたらなぜ悪いのか、贋作に価値があるとしたらどういう価値か、といった問題を扱います。
- 贋作が作れない芸術はあるのか?といった問題もココ。
- 贋作や偽物について考えることで、芸術作品の制度についてより理解が深まるという興味ぶかいトピックです。
高級芸術vs下級芸術(High art versus low art)
環境美学(Environmental aesthetics)
- 日本でも西村清和『プラスチックの木で何が悪いのか』でけっこう認知度あがった分野かと。
- 自然美を見る経験と芸術観賞とで何がどう違うのか、自然美に正しい観賞はあるのか、といった議論をあつかいます。
- 最近では日常生活の美学とかいう分野も出てきてます。
- 『分析美学入門』第2章。
フェミニスト美学(Feminist Aesthetics)
- 美学・美術史の分野ではもはやお勉強必須の分野。
- リンダ・ノックリン「なぜ女性の大芸術家は現れないのか?」は翻訳もあるので読んでおきましょう。『美術手帖』1976年5月号(松岡和子訳)。
- 邦訳でもコースマイヤーの『美学:ジェンダーの観点から』といった入門書が訳されてます。
芸術と宗教(Art and religion)
- 美術史や美学では伝統的なトピックでしょうか。内容もそのまんま。
- そんなに分析美学っぽいトピックでもない気もする。
以上です。とりあえず興味持ったトピックについては、教科書パラパラめくってどういう事柄が議論されてるのかをみておくといいと思います。
各トピックのイントロだけでも見とくと、概略はつかめます。
英語圏の美学は教科書の練り直しがどんどん進んでいるので、まずは教科書見とくのが無難です。心配だったらRoutledgeだけじゃなくOxford Handbookなど教科書もいくつかあるので、他のも見ればよろしい。
そのあとは、そこに上がってる参考図書をたどって専門的な議論に進んでいけばよいでしょう。
とりあえず英語圏美学については以上です。
あーつかれた。
ご参考:『分析美学入門』紹介サイト
『分析美学入門』の正誤表もupしております。ご参照ください。
追記
松永くんから秀逸なコメントが付いた。これはほんとそう。
あとこれはいっておかなきゃいけないが、分析美学をちょっとかじるとくそみたいだった美学史の話が面白くなります
— matsunaga s:3D (@zmzizm) June 1, 2015
分析美学研究しない人でも、自分の関心に近いパートのところは一度目を通しておくべき。いろいろ見通しが良くなると思います。
*1:まあこれはどの学問についても言えることでしょうけども。