昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

 履修不足問題について


履修漏れ問題について、ネットでいろんな意見が飛んでるが、
その大半は、
「補習に追われて受験前の生徒が可哀想だ」、とか
「今までズルしてんだから、しっかり授業受けろ」、とかで、

結局は、この問題の責任が、国・学校側か生徒側かとして論じる意見ばかりのように見える。




個人的には、「生徒が、勉強できなくてかわいそう」という意見があまり見られないのに少しびっくりしている。 


受験という大儀のために、他の教科を勉強する機会を奪われているという事実に、
生徒達自身が気づいているかいないかはともかく、
結局、勉強していないまま高校を出るというのは、俺にはとても可哀想に見えるのだ。



俺の周りには、大学生になって、もしくは大人になってから、
「世界史勉強したい」とか「日本史ちゃんとやりたい」とか言う人間がたくさんいるのだが、
そういうのは高校までの教育を通じて、半ば無理やりに必死にやるから身につくのであって、
中間・期末テストも無いまま勉強するのは、余程のモチベーションが無いと無理だ。
あとあと勉強したいなどといっても、ホントにやる人間は極少数。




そもそも、役に立たないからやらないと言う意見は、
良い大学を目指す姿勢と矛盾している。
良い大学に行って勉強しようとするとき、もしくはその先の人生において稼ごうとするとき、
必要な勉強しかしていない奴は、絶対的に弱い
理由は、仕事の幅が狭い。応用が利かない。発想力が無い、などなど。
職人にはなれても、人の上に立つジェネラリストにはなれない。



そういったことを、高校生のうちに気づけと言うのは結構酷な話で、
むしろ大人が教えてやらなければならない事柄であって、
理解できない子供には、後のために無理やりにでも勉強させとくのが必要だと俺は思う。
(その意味で俺は、受験に全教科課すって意見には賛成だ。
一部の科目だけ突出してるような天才肌は別の工夫して採れば良いだけであって、
学部の全生徒を二科目受験で採ろうとするような大学は、俺は基本的に信用していない。)
受験と言う大義によって、社会構造的に勉強の機会を奪われており、
そのことが、のちに上を目指す姿勢をとろうとしたときにクリティカルに響いてくるのが自明でありながら
勉強させてもらえない(もしくは、しない)現状の進学校の子供たちはとても可哀想に見える。





無理やりやらされる勉強って結構大事ですよ。
少なくとも俺にとっては、あとあと無駄だったなぁって思う勉強よりも、
無理やりやらされたことに今となって感謝する勉強の方が、圧倒的に多い。



今更ながら思うと、化学とか物理とか地理とかやりたかったなぁ。
無駄を極力嫌う時代の風潮と、そうしないと生き残れない社会の構造が、
無駄をするべき時期の子供たちを圧迫しているのだ、嗚呼・・・





とか書けるのは、俺がもはや受験を乗り越えた大人だから。
高校生の皆さん、可哀想だけど、諦めて頑張ってね。
損してる分、どっかで良いことがあるよ、たぶん。