昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

サイファー

サイファーなる文化が存在することを知った。
(つってもFFのキャラじゃなくて!)


「屋外でヒューマンビートボックスにのせてフリースタイルラップをする」ってのが定義らしい。


ミクシィには「渋谷ハチ公前でサイファー!」なんてコミュもあったが、盛りあがっとるんだろうか?
一時(夏ごろ)盛り上がっただけで今はもうやってなさそうな感じもする。
(ちなみに「秋葉でサイファー」も存在したがそっちはもう消滅したくさい。)
ネット探すと渋谷サイファーにブルーハーブのBOSSが参加してきた動画とかが見つかっておもろい。

ざくざくと言葉を投げかけられる体験は、読書とは一味違った体験だ。
韻とリズムと即興性がプラスされる。
そいういう意味で、意味だけで考える言語論、読書論ってのはやっぱ側面的でしかないわな。


いやーフリースタイル上手い人って尊敬しますね。
基本私、言葉が巧みな人は尊敬してるんですけど、フリースタイルの人はそこに即興の技術と韻のセンスが加わってくる点でプラスαで尊敬します。
あんたかっちょいいよ!
日本にももともと即興の歌詠み文化があったんだが、そこと結びつくってよりは単純にヒップホップ文化の受容っぽい。
(韻を重視する点ではむしろ漢詩に近いんだろうか。)
ともあれ、くだらん歌詞が出回っとる昨今、こういった言葉遊びを大事にする動きは大歓迎ですね。


映画『8mile』の中では、エミネムが工場への通勤バスの中でポケットからペンと、くしゃくしゃの紙を取り出して、リリックを書きなぐるシーンがあるんですけど、そういうちょっとした日常の合間を縫って言葉を大事に見つめる姿勢ってのは、文系の僕としてはすごくかっこよく見えるわけだ。


ただ気になるのは、このサイファーって文化は「みんなで盛り上がりましょう!」ってのが基本姿勢なんですよね。
そこにヒップホップ文化特有の「dis」り合うって姿勢は無いんだろうか?
DJバトルの大会とかでは「dis」のセンスがひとつの評価基準にもなってるんだが。
「dis」の無い、馴れ合いのコミュニティーがどれだけ盛り上がりを見せれるのかは微妙だ。


鑑賞側の文化も育てていきたいですね。
また『8mile』の話を出すと、パンショップの前でいきなりおばさんがフリースタイルで愚痴りだすシーンがあるんだが、そんとき周りの人たちはそれを「yo!yo!」って囃しながら聴いて、別のやつが挑戦してきたりすんだよね。
(ここではそんなの映画の中だけのフィクションですよって突っ込みは無視。)
そういった文化は日本にはまだ無い。
サラリーマンのおっさんとか散歩してた爺ちゃんとかが、いきなりフリースタイルで挑戦してくる社会になったらおもろいのになー。