昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

ウォルハイム『芸術とその対象』を読んだ。

 ウォルハイムのArt and Its Objectsの翻訳が出た。ダントー『ありふれたものの変容』に続く、松尾大先生のお仕事。分析美学の古典がこのように日本語で読めるようになることは本当にすばらしい。

 

 

 

 内容についてはすでに銭さんが良質の紹介文を書いているので、本書に興味がある人は、まずはそちらを読みましょう。

obakeweb.hatenablog.com

 

 銭さんのいうとおり、この本は現代の議論につながるいろんな話題が詰まっている。現代は議論がもっと精緻化さているし、ポイントがわかりやすいまとめもいろいろあるので、そこから見るとウォルハイムの本にはやや読みにくい箇所もいろいろあるが、当時(初版は1968年)すでにここまで多様な話題を扱いながら(しかも独仏文献にも目を配りながら)、各所で有用なargumentを出しているのはやはり偉業と言えよう。

 

 

 いくつか訳語選択で気になった所があって、少し調べたのでメモがてら示しておく。

 

1.観念説ideal theory と直観説presentational theory

 本書前半でウォルハイムは「いくつかの芸術作品は物的対象(physical object)だ」とする物的対象説を推すために、その対抗相手となるIdeal theoryとpresentational theoryを批判的に検討している。

 

 本書ではこの2つの説は、それぞれ「観念説」「直観説」と訳されているのだが、本書ではintuitionとpresentationがどちらも直観と訳されているので、原文見ない人にはこのあたりで混乱を招くかもしれない。注意が必要だ。

 

 

 観念説Ideal theoryとは、芸術作品は芸術家の内的状況ないし状態に存する、という説だ。(22節。なお、ここで本文のこの箇所では、その内的状況・状態について「それは直観ないし表現と呼ばれる」という補足説明があるのだが、ここの「直観」の原語はintuitionなので、のちに出てくる直観説presentational theoryとの対比がなおさらわかりにくくなっている。)

※ちなみに松尾先生はnotionも観念と訳すので、ここでも観念説との混同を招くかもしれない。notionは「考え方」くらいの訳でいいと思う。

 

 他方、「直観説」と訳されるpresentational theoryは、〈芸術作品がもっている性質は、われわれが直接知覚できる(あるいは直接与えられる)性質だけだ〉とする説だ*1

 このpresentationをどう訳すかは、悩むところだ。「直観」という訳語を避けるのであれば、「現象説」とかでもいい気もする。ウォルハイム自身も21節の末尾で、presentational theory を説明するときに、芸術作品を“phenomenal” or “presentational” objectとする説だ、と説明している。

 

 

 最近の論者は、この種の説を語るさいにpresentationという語を使うことはあまり無い気がする(『分析美学入門』のステッカーも使っていない。この類の説を説明するときには、intentional objectとか、object-under-a-conceptionなどという説明をしている)が、

 20世紀中頃の分析美学者たち(たとえばビアズリー)はこの種の立場を説明するさいにpresentationという語を使っていた。ビアズリーのいうpresentationは個々の観賞経験ごとに現れるものである。よって、たとえば、一つの演奏会では多数のpresentationが生まれることになる。ビアズリーは、presentational theoryを、批評実践をカオスにするといった点で批判している。presentationについてのビアズリーの考え方は、SEPのまとめが参考になる。 https://plato.stanford.edu/entries/beardsley-aesthetics/

 

 

 哲学の他の文脈でpresentationを「直観」と訳す習慣があるのかもしれない。自分はあまり知らないので、もしそういう分野があるのだったら教えてほしい。

なお、カントの『判断力批判』の英訳(Guyer & Matthews訳)では、第一序論でカントがapprehensio, apperceptio comprehensiva, exhibitio,の3つの能力を区別する所で、exhibioがpresentationと訳されていた(第一序論VII節)。邦訳では、牧野訳では「描出」、熊野訳は「呈示」という訳語になっている。

 

 

2.芸術の歴史主義について

 今回読み直してひとつ発見だったのは、ウォルハイムがすでにレヴィンソン的な歴史主義のアイデアをはっきり提示していた、という点だ(60節~63節)。レヴィンソンの79年の論文 “Defining Art Historically”も見返してみたら、しっかり注の2で元ネタがウォルハイムであると書いていた。この論文の注の12ではウォルハイムとの相違についても少し述べている。ウォルハイムは「芸術の定義」というプロジェクトには基本的に批判的なようだが、ウォルハイムとレヴィンソンの「定義」観の相違については、検討してみてもいいと思う。

 (なお、ウォルハイムの邦訳ではこの話題をあつかう60節ではidentifyの訳語がぶれていて、ちょっと読みづらくなっている。60節から62節冒頭までは「認定」と訳されているのだが、62節末尾からは「同定」という訳語に変わっている。これらは同じ語なので注意。)

 

3.デザインおよび宣伝文句について

これについてはTwitterで言うべきことはいったので、ツイート貼り付けで。

 

 

*1:ちなみにここで「性質」と訳したのはpropertyだが、松尾先生はpropertyを「属性」と訳す派。