昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

【告知】12/15(日)、立命館大学「分析哲学と芸術」研究会:フィクションの哲学の最前線。講師は河田学&藤川直也。

宣伝です。立命館大学の田邉くんから研究会のお知らせが回ってきたので、こちらでも宣伝しておきます*1


分析哲学と芸術」研究会の公開研究会第2弾として、河田学さんと藤川直也さんをお招きして「フィクションの哲学の最前線」を開催いたします。

河田学さんは京都造形芸術大学准教授で、文学理論を専門とされています。主たる業績として、『フィクション論へのいざない‐文学・歴史・遊び・人間』(共著、世界思想社、2013)やレーモン・クノー『文体練習』(共訳、水声社、2013年)があります。
藤川直也さんは京都大学非常勤講師で、言語哲学を専門とされています。主たる業績として、『存在しないものに向かって‐志向性の論理と形而上学』(共訳、勁草書房、2011)や「固有名と記述」(日本哲学会若手奨励賞受賞、2006)があります。

どうぞふるってご参加ください。

【開催日時等】
タイトル:フィクションの哲学の最前線
日時:2013年12月15日(日)14時00分〜
会場:立命館大学衣笠キャンパス 創思館401/402号室
参加資格など:事前予約不要、参加費無料、学外の方も御参加いただけます

【内容】

河田学:
フィクションにおける〈語り手〉の問題は、いわゆる物語論(ナラトロジー)の中心的課題の一つとして長年にわたり議論されてきた。物語論における〈語り手〉論は、分析哲学におけるフィクション論とどのような位置関係にあるのだろうか。両者を接続しようとした試みの一つが、マリー゠ロール・ライアンが『可能世界・人工知能・物語理論』(Possible Worlds, Artificial Intelligence and Narrative Theory, 1991)において行った、サール批判を踏まえての〈語り手〉概念の定式化であった。本報告では、ライアンの試みがもたらした結果を確認し、そこからえられる〈語り手〉なる対象の性質を検討する。時間に余裕があれば、分析哲学側の〈語り手〉論として、『物語と語り手』(Narratives and Narrators, 2010)におけるグレゴリー・カリーの議論にも触れたい。


藤川直也:
フィリップ・マーロウ」のようなフィクションに出てくる名前(以下、フィクション名と呼ぶ)の意味論は、少なくとも、次の二つの文が真であるということを説明できるようなものであるべきだろう。

 (1) a. フィリップ・マーロウは存在しない。
   b. 『リトル・シスター』によれば、フィリップ・マーロウは探偵だ。

キャラクター指示説によれば、フィクション名は、フィクションのキャラクターを指示する。キャラクター指示説が(1)の文にどんな真理条件を与えるかは、キャラクターがどのような存在者であるのかに依存する。本発表では、キャラクターの形而上学理論として、それは一種の非存在対象であるとするマイノング主義的な立場を取り上げ、それと組合わさったときに、キャラクター指示説が(1)の文の真理条件をどう説明するかを概観し、この理論のありうる問題を考察する。キャラクターに関するマイノング主義的理論としては、Parsons, T. (1980) Nonexistent Objectsのものと、Priest G. (2005) Towards Non-Beingのものを取り上げる予定である。(時間が許せば、キャラクターは人間の心的な活動が生み出す人工的な抽象的対象であるとする立場(文化的人工物説)も取り上げる。)

何度も言いますが、こういう院生主体の研究会にぽぽーんと金を出してくれるところは、立命館のいいところですね*2。素晴らしい。
関西方面で分析美学に興味がある方は、ぜひ参加すべきでしょう。


*1:つーか公式ページの更新が遅いぞ!リンク貼れんではないか。 http://www.r-gscefs.jp/?p=4490

*2:大学院の話。学部については知りません