昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

「フッサール詳しい奴ちょっと来い!」ってスレ立てたい

今日はちょっと(どころじゃなく)専門的な話。
誰かフッサール詳しい人に教えていただきたいのですが!
助けて!


内田樹の『レヴィナスと愛の現象学』の中に以下のような記述がありました。

家の前面を見つめつつ、その裏面を想起的に表象するとき、私たちは十全な表象と、全くの想像の、いわば「中間」にいる。これをフッサールは「間接的呈示」あるいは「間接的現前」(Appäsentation)と述語化した。(p.105)

この「Appäsentation」は、おそらく「Appräsentation」の誤植だと思うのですが。
それは今回の本題ではありません。


僕自身は、この家の裏面を把握するのって、準現在化(Vergegenwärtigung)の話だと思っていたのです。
で、『現象学事典』でAppräsentation(付帯現前化)Vergegenwärtigung(準現在化)の違いを調べようとしたのです。

で、以下の記述。

内的時間意識としては、現前化は原印象、過去把持、未来予持からなる経験である。それに対して付帯現前化は必ず現前化と結びつき、それによる原初的世界の底層から発するが、それ自身で現前することはできない、「ともに現前するものとして意識させる」、現前化へと遡行的に導かれるべき類比的統覚の間接的志向性である。それは一種の準現在化であるが、見えている家屋の前面にともに意識された見えていない室内の経験の場合のそれとは異なり、他者経験における付帯現前化においては、対応する現前化による直観的確証は原理的に排除され、この点がフッサールにおいて、たとえ同一の経験として意識された場合であっても第二の私となりえない他者の経験の独自性を形づくる。
(「現前化/付帯現前化 Präsentation/Appräsentation」の項(抜粋))


・・・えー、2番目の文は、構造すらもよく分からない。(ちなみに、この項目の著者は千田義光)
Appräsentation(付帯現前化)とVergegenwärtigung(準現在化)の違いは何なの?という疑問は、結局解決されませんでした。


他の部分も読んで、一応僕なりの解釈をしたところ
「Appräsentation(付帯現前化)は、一種のVergegenwärtigung(準現在化)であって、フッサールの中ではとりわけ他者経験や間主観性の問題を考える際に用いられる概念である」
ということになりそうなのですが(あまり自信なし)、それでよろしいのでしょうか?
それとも両者の間には、何かはっきりとした区別があるのでしょうか?


フッサール詳しいかた教えてください。
へるぷみー。
2ちゃんで質問したら、「半年『論研』れ」って言われそうで嫌だな。
つーか半年じゃフッサールわかんねーよ。



ちなみに来月フッサール研究会があるらしいんで行ってきます。(3月15、16日)
俺ほとんどフッサールわかってないんだけど。
お勉強お勉強。