昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

 関西方面でちょっと議論になってるので、首突っ込む。

同志社の林田君(id:Arata)からトラックバックを送られていたのを、昨日飲み会で友人から指摘された。
いやー全く気づいてなかったです。
申し訳ない。


話題を振られたので、ちょっと書きます。
長いですけど、興味があるひとはよろしく。



関西方面でちょっとした議論が起こってました。
(内容のまとめはこちら→http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/stereodiary85.htm
議論の内容を簡単かつ暴力的ににまとめると、
関西方面の美学系院生が主導でやっている「視聴覚文化研究会」(id:avcs)に対して、京大のとある院生が
「おまえら、ただのオタク(物好きくらいの意味で)の集まりになっとりゃせんか?
もちっとちゃんと自分の研究の位置づけハッキリさせんかい。」
と指摘したのがきっかけで、
研究会の各々が、自分の研究の意義や、はたまた研究会自体のの意味そのものまで議論するというものでした。


まぁ文系の研究職というのは、いろんな方面から「キミの研究って意味あんの?」という突っ込みをしばしば受けるわけで、自分の研究の意義というのは、それぞれが常に真摯にに考えておかなければならないものであることは言うまでもありません。
だって、各個人が人生の膨大な時間をつぎ込んでるだけでなく、将来的にはその研究で国とかから金もらうわけですからね。
ただ自分勝手な趣味をやり続けるわけには行かないのです。


ただ、研究の意義というのはいろんな見方があって、一般的に見てキャッチーなものであったり、パッと見、あまり面白くなさそうなんだけど学問的には結構意義があるものだったり、様々です。
一概に「他人が見て面白いかどうか」という言葉だけで語リ尽くせるものではないと、僕は思います。
重要なのは、その意義が他人にとっても、納得できるものでなければならないという点です。
研究職に就く人間の最も重要な仕事の一つは、「自分の研究の意義を他人に対して説得的に語ること」です。
(まぁこの説得的という部分が論理的にしっかりしていれば、その研究は往々魅力的なものになりますけど。)


「だって僕この分野大好きですから」じゃ、金はもらえません。それはただのマニア。
その意味で、研究会が単なる物好きの集まりになってしまっては、ちょっとまずい。
「○○っていいよね〜」「そうだよね〜」的な会話は、研究会後の飲み会でやればいいことです。



さて、自分の研究の意義をハッキリさせるための基本的な手段は、その領域の先行研究をしっかりと抑えることです。
また、近隣領域の似たような議論と比較することも有効です。
ただ、言うは易し、行うは難し。これらは一朝一夕にできることではありません。
そこで、役に立つのが、同業者による指摘です。
「それ○○がずっと前にやってた議論とそっくりなんだけど、今更それってどーなの?」とか
「君の言ってることと似たような議論がこっちの方でもやってるよ」とか
指摘してもらうのは自分の研究を考えるにあたって非常に助かります。
そういう議論をする場が定期的にあるという環境は、すごい幸せだと思います。
(とりわけ、関西は院生の大学間の繋がりが強くて、ちょっとうらやましい。)
僕も東京なので、そういう意味では恵まれてるのは間違いありませんが、地方だとそれはかなり厳しいでしょう。


もちろん、一般的に言えば、専門分野が近い人のほうが、ピンポイントかつクリティカルな指摘をしてくれるのですが、
たまに、全く異分野の方面から指摘を受けることが、自分の研究に対して全く新しい視野をもたらしてくれることがあります。
その意味で、視聴覚文化研究会の、様々な分野の院生が集まっているという状態は素晴らしい。
もちろん、「全く異分野を研究している人たちに自分の研究内容を伝える」ということも研究者として重要な作業ですから、
発表者側にとっては、その能力を鍛える場としても、視分研のバラエティさは有効に働くでしょう。



さて、ここまでの内容は、関西方面の皆様が各ブログやそのコメント欄で書いてたことと同じです。
せっかくですから、外部の目から見た視分研への感想を書くことにします。


視分研の環境そのものは、上に書いたとおり素晴しいものですが、「その議論のしかたがマズいんじゃないか」という批判を受けてしまった。
これは研究会の内容そのものではなく、研究会のやり方・手法についての批判だと思います。
僕は視分研には数ヶ月前に一度参加しただけで、そもそもあまり口を出す資格はないのですが、
あくまでそのときの印象を踏まえつつ、その批判の理由を少し考えてみます。
結論を先に言います。
それは


「視分研は突っ込みがヌルい」


というものです。
(これは一度参加しただけの印象ですから、あまり的を得ていないかもしれません。実際はしょっちゅうゴリゴリの議論バトルをしているのかもしれない。間違ってたらごめんなさい。失礼極まりない。)
ただ、僕が参加して、そのような印象を持ったのは事実。
かつ、根幹は通底しているような批判を受けている。
このことは少し真摯に捉える必要があります。



僕が視分研について一つ主張したいのは、その研究会における「突っ込み」の意味についてです。


僕が考えるに、議論がぬるい研究会というのは、あまり意味がありません。
むしろ発表者をボッコボコに叩いて当たり前の状態をキープしなければならない。
とりわけ院生主導で、身内の研究会であれば、遠慮なしに突っ込みまくるのを当たり前の状態にするべきです。
馴れ合いは、誰のためにもならない。
聞く側のスタンスは、
「今日はどんな話を聞かせてくれるのかしら」ではなく、
「今日はどの部分からボコボコにしちゃろかね?」が基本。
もちろん、発表者の自信を喪失させるのが目的ではないので、あくまで、論理的、かつ説得的な突っ込みで、ボコボコニするのが重要ですが。
ダメダメな発表は、スルーするのではなく、きちんと突っ込んであげるのが礼儀ですし、むしろダメダメな発表の後は、如何に華麗にダメ出しするか、聴衆の技の見せ合いですよ。
(例会などで大御所の先生方の素晴らしいダメ出しを聞くのはお勉強、かつ一種のエンターテイメントです。)


視分研の方々の議論を読んでいて感じたのが、研究会を考えるにあたって、この「人の発表に対する突っ込み」の重要性を訴える人が少ないというものです。
自分の発表をどうするか、研究会としてどういう発表をさせるべきかという議論が中心になっている。
しかし、研究会というのは、人の発表にクリティカルに突っ込む能力を鍛える場でもあるはずです。
デカイ学会では、基本、大御所の先生方が質疑応答の大部分を占めるので、ペーペーの院生は発言がしづらい部分もありますが、小さい研究会では皆が積極的にバトル出来ます。
そして、そういう場所で、人の発表に突っ込みを入れるというのは、発表の内容と自分の研究内容が近いものである必要はあまりありません。
「議論の流れが論理的におかしい」とか、「この発表の狙いは成功しているのか」といった突っ込みは、自分の研究領域と関係なく、指摘できるものですし、僕らはそこを指摘できるようにならなければならない。
僕らが将来、研究者だけでなく、教育者としてもやっていきたいと考えるならば、そういった能力を鍛えておくのは重要なことです。
前川先生(id:photographology)が、あまり簡単にまとめることをせずに、学生主導で議論を進めさせているのは、そういった部分を重視してのものだと僕は解釈しています。


突っ込みの側でも、発表の側でも、「他人を説得する力を鍛える場」としての研究会をもっとやりたい。
僕が林田君とかと「院生の議論の場を増やしたいよね」という話をしていたのは、そういう意味がありました。




結論。


視分研は環境としてはすばらしい。
ただ、もうすこし厳しい突っ込みを。
京大の太田君(id:seventh-drunker)や、同志社の林田君など、クリティカルな指摘を出来る人は揃っているのですから、
あとは研究会の雰囲気さえ作れば簡単なことだと思います。
切磋琢磨。
もっとガチっとバトルしようぜ。


もちろん、各自の発表内容を充実させるのは言うまでもありません。
発表自体があまりにつまんないのが続くと、人集まらなくなっちゃうからね。



良い研究会ですから、今後も続けていってください。
また機会があれば参加させてくださいね。



では、
偉そうに長々とごめんなさい。
秋の全国大会で会おうね。


東京大学、美学M3
森 功次