以前から(こことかに書いたように)、「美学は飽きという現象についてもうすこしきちんと考えるべきだ」というのが持論でしたが、もう、とりあえず自分で考えたいくつかのことをブログでぶちまけちゃおうかなと最近思いました。
もんもん考えても、特に発表する媒体もなさそうだし。(というかどの学会誌に出せばいいんだか良くわかりません。)
あと何よりも、「お前そんなことやってないで、サルトル研究して早く博士論文書けよ」といわれそうなので。
いろいろ考えているのだが、どうも大枠の話になりそうなので、論文にしてもえらい年寄りくさい論文になりそうだ*1。もうすこし技術を身につけてからから、本腰入れてやりたい研究ではあるけど。
つーか将来、これについて何か本は書くわ。
というか出版してくれるとこあるなら、今すぐにでも本腰入れますけど。
でもなー。まだ若輩者だしなー。地道に古典研究の技術もつけなきゃなー。分析哲学とかやってる人には「なーにだらだら曖昧な思弁めいたことやってやがる」とか思われそうだしなー。
というか、こんなのどこかでもう誰かやってる話かもしれないしなー。誰か教えてー。
ということで、とりあえず、アップします。まだまとまってはないから、何日か、かかるかもしれませんが。小出しにするつもりはあまりありません。とっとと挙げて、ちゃんとサルトル研究します。
既に貴重なご意見をくれたS、Oちゃん、研究室の同僚に感謝。
興味あるひとはコメントでもメールでも口頭でも、いろいろ御指摘、参考図書推薦などいただけるとありがたいです。
議論の構成についてのアドバイス、わかりにくい箇所・誤字脱字の指摘などなど。
みなさまの素朴かつ手厳しい突込みをお待ちしております。
将来、本のあとがきで謝辞送ります。(でも本は買ってください。)
*1:「年寄り臭い」論文というのはわかりにくい概念ですが、実際にある。