昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

『ユリイカ』6月号に「ひらくマンガ、めくるマンガ」という小文を寄せました。

ユリイカ』の巻末のコーナー「われ発見せり」に「ひらくマンガ、めくるマンガ」という文章を寄せました。
6月号の特集は「桂米朝」でして、わたしが書いた文章はそれとはまったく関係ないんですけど、まあエッセイコーナーの文章なんてそんなものでしょ。


内容は、最近の電子書籍マンガアプリのなかには「見開き」に気を配ってない奴が多くて酷いよね、という話です。
(ちなみに見開きで2ページにわたるコマを使用しない例として『とんかつDJアゲ太郎』を挙げてたんだけど、入稿後の5/14の回でいきなり見開きのコマが使われた、という悲しいことになってます。ぐぬぬ感はんぱない。)


『とんかつDJアゲ太郎』


2ページにわたるコマがあるかないかだけじゃなくて、見開き形式にはいろんな効果があります。じっさい制作者側も「ページをめくる」という行為がもたらす読書効果はけっこう計算しながら作ってるはずですし、この種の効果についてはマンガ研究者がさんざん語ってきたと思うんですよね。
そういうのが、1ページずつ表示する形式だと全部台無しなんですよ。
まあ移動中に電車でスマホで読めるとかメリットはあるので、べつに読み方は人それぞれでいいと思うんですけど、最近の電子書籍マンガアプリにはそもそも見開き対応してないやつとか、左右逆に表示するやつとかあるんです。過去の名作を配信してるくせに。これはほんとダメだと思う。作者怒ってないのか。


でも最近はむしろ電子配信先行型の作品もあって、そうした作品はあまり見開き効果を利用してないやつも多いんですよね。
2ページにわたるコマをつかってないどころか、ページ開いたところで物語を急展開させるとかもあんまりないわけです。
逆にそういう作品を見開きで見ると、すごい単調な感じがする。これはこれで、こんどはこっちの読み方が悪いのかなー、という気もします。
芸術形式がもう別な感じというか。
こういう作品の評価のしかたはかなりディスプレイ依存なところもあって、もうPCで読むべきなのか、タブレットで読むべきなのかのかとかいろいろ考えちゃいます。スマホで読まないとほんとの面白さがわからない作品とかもうすでにありそうですよね。



という話をしたかったのですが、文字数が足りず尻切れトンボな感じで終わってます。文字数少ないエッセイは難しいです。