昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

あけましておめでとうございます。近況報告。

あけましておめでとうございます。

 

報告遅れましたが、書いたものが年末にどどどっと出ました。

 

『美学の事典』12月25日発売

  • 「批評・解釈の役割――作品の意味は作者の意図に還元されるのか」
  • 「子育てと美学」

の2項目を書いてます。

原稿自体はかなり前に提出してたんですが、編集が遅れに遅れてようやく出ました。いま確認したら初稿の提出は2018年の夏でした、、、。 偉い先生がいろいろ絡むと発行が遅れるというよくあるアレです。

「子育ての美学」というテーマは膨らませてもう少し何か書きたい(でもそれより先に、もう少しかっちりした学術書も書かねば)。

 

 

『フィルカル』Vol.5, No.3 12月25日発売

  • 「分析フェミニズムブックガイド」美学パート選書
  • 「哲学のオンライン授業を文書配布形式で行う理由」

ブックガイドでの選書と、あとオンライン授業の報告文を書いてます。

分析フェミニズムの選書では、以下の三つを取り上げました。解説の方では他の論考にもいろいろと触れてます。読みたい人は『フィルカル』買ってください(副編集長なので宣伝するぞ)。

  • Anne Eaton (2008), “Feminist philosophy of art,” Philosophy Compass 3(5): 873–893
  • Hans Maes and Jerrold Levinson (eds.), Art and Pornography: Philosophical Essays (Oxford University Press, 2012)
  • Paul C. Taylor, Black is Beautiful: A Philosophy of Black Aesthetics (Wiley-Blackwell, 2016)

オンライン授業報告のほうでは、フィルカルの編集委員がそれぞれ今年度オンライン授業をどのようにやったかを報告してるんですが、三人ともいろいろ考えて授業映像の配信はやってない、という結果になりました。哲学系教員の試行錯誤が読める、時代記録的な特集になってると思います。

 

 

現代思想』2021年1月号 特集*現代思想の総展望2021――実在・技術・惑星 12月26日発売

 

  • 「美的なものはなぜ美的に良いのか:美的価値をめぐる快楽主義とその敵」

 「現代思想の総展望」というテーマだったので、最近分析美学界で若干ブームになっている快楽主義(hedonism)批判の動向をまとめた文章を書きました。美的価値をめぐる議論に興味がある人は読んでみてください。動向紹介的な文章なのであまり学術的オリジナリティはないですが、この動向を頭に入れておくと近年の議論が読みやすくなると思います。

 このあたりの論文をいろいろ読んでいて見えてきたんですが、どうやらロペスが2018年に主催したBeauty and Why It Mattersというサマーセミナーがかなり有意義なイベントだったっぽいです。参加者もとても豪華。このセミナーの参加者たちが最近の動向を作り出していると言っても過言ではないと思います。

https://aesthetics-online.org/page/2018BeautyPhotos

 なお、この文章の末尾で言及したロペス、ナナイ、リグルの共著本はそのうち翻訳するつもり(出版社はまだ決まってないけど)。 

 

 

その他の近況報告としては、

  • 秋にメガネ変えたんだけど、誰からも気づいてもらえません。
  • 現職であと2年は任期延長してもらえそうです。少しホッとしてます。
  • 昨年終わりに第二子誕生しました。小さく軽いかわいらしい時期はあっという間に終わり、デブ期に入ってます。乳児はオムツ替えのときに足をぐっと持ち上げてやると、半分くらいの確率で屁をこきます。楽しい。
  • 『分析美学入門』と『ワードマップ現代現象学』が増刷になりました。『分析美学入門』が4刷、『ワードマップ現代現象学』が5刷です。
  • ほんとは2月頃に弘前大学で集中講義やる予定だったんですがコロナでだめになり、普通に秋学期にオンラインで遠隔授業やってます。雪国の青森に行きたかったよう。
  • ステホームの時間つぶしに家族みんなで「デザインあ」の「みんなのあ大募集」に応募したら、子供が描いたやつが採用されました。ちょっとくやしい。
  • 寒いので今年から腹巻き導入してみました。悪くないかも。あとレッグウォーマー最高。

 

 

今年もよろしくお願いします。

【追記あり】論文が出ました。「芸術作品のカテゴリーと作者性 :「なぜ会田誠の絵をVOCA展に出してはいけないのか」」

論文が出ました。

 

森功次(2020)「芸術作品のカテゴリーと作者性―「なぜ会田誠の絵をVOCA展に出してはいけないのか」」『人間生活文化研究』No.30

 

2015年の美学会早稲田大学)で発表したやつをブラッシュアップして論文化したものです。

 

2015年のVOCA展で、奥村雄樹さんが会田誠に絵を描いてもらって出品しようとしたところ、実行委員会側から出品を拒否された、という事件がありました。

この論文は、分析美学の議論を用いつつその事件を分析し、そこから芸術哲学に関する考察を行ってみる、というものです。

分析美学の応用チャレンジ論文とも言える。

 

 

 

 

下記から無料ダウンロード可です

http://journal.otsuma.ac.jp/2020no30/2020_457_1.pdf(pdf)

 

 

 2015年にこの事件について知って「お、ここにはなんかすごく面白い美学的パズルがあるぞー!」と気づいて、慌てて美学会に発表申し込みをしたんですが、今となってはよい思い出です。見切り発車で発表申し込みしておくのも悪くはないですね。

いえーい、これでお蔵入りしかけていた論文の救済ができたぞー。

 

 

この論文で言及した作品は奥村さんのHPにそれぞれ紹介があるので、リンクを貼っておきます。論文読む前に見とくといいかもですね。

 

《現代美術の展望はどこにある?》

http://yukiokumura.com/works/voca2015/where.html

《くうそうかいぼうがく》

http://yukiokumura.com/works/af/ws.html

《くうそうかいぼうがく》ワークショップ企画書

http://yukiokumura.com/works/af/ws/AnatomyFictionProposal.pdf

 

 

あと奥村さんが今回の事件の顛末を記した冊子はNADiffで売ってます。

奥村雄樹『なぜ会田誠の絵をVOCA展に出してはいけないのか』(2015)

http://www.nadiff-online.com/?pid=88299444

 

当時のtogetterもあります。

 

なおこの論文では、冒頭で奥村さん@oqoomを「コンセプチュアル・アーティスト」と呼んでしまってるんですが、すでに本人からその言い方には違和感がある、とツッコミが入ってます。

奥村さんは最近noteでコンセプチュアル・アートの基礎文献をいろいろ翻訳してくれてるので、そちらもオススメです。

https://note.com/conpercipient

 

追記:

松永くんが本論を読む上での非常に良い補助線をツイートしてくれてましたので、こっちにも転記しておきます。

 

 この種の読み方に慣れてるかどうかで、この論文への評価は大きく変わると思います。美術史的な読み方で読むと、何が面白いのかわからないかもしれない(じっさい発表後は、全然面白くない、という反応もいくつかもらったし)。

ウォルハイム『芸術とその対象』を読んだ。

 ウォルハイムのArt and Its Objectsの翻訳が出た。ダントー『ありふれたものの変容』に続く、松尾大先生のお仕事。分析美学の古典がこのように日本語で読めるようになることは本当にすばらしい。

 

 

 

 内容についてはすでに銭さんが良質の紹介文を書いているので、本書に興味がある人は、まずはそちらを読みましょう。

obakeweb.hatenablog.com

 

 銭さんのいうとおり、この本は現代の議論につながるいろんな話題が詰まっている。現代は議論がもっと精緻化さているし、ポイントがわかりやすいまとめもいろいろあるので、そこから見るとウォルハイムの本にはやや読みにくい箇所もいろいろあるが、当時(初版は1968年)すでにここまで多様な話題を扱いながら(しかも独仏文献にも目を配りながら)、各所で有用なargumentを出しているのはやはり偉業と言えよう。

 

 

 いくつか訳語選択で気になった所があって、少し調べたのでメモがてら示しておく。

 

1.観念説ideal theory と直観説presentational theory

 本書前半でウォルハイムは「いくつかの芸術作品は物的対象(physical object)だ」とする物的対象説を推すために、その対抗相手となるIdeal theoryとpresentational theoryを批判的に検討している。

 

 本書ではこの2つの説は、それぞれ「観念説」「直観説」と訳されているのだが、本書ではintuitionとpresentationがどちらも直観と訳されているので、原文見ない人にはこのあたりで混乱を招くかもしれない。注意が必要だ。

 

 

 観念説Ideal theoryとは、芸術作品は芸術家の内的状況ないし状態に存する、という説だ。(22節。なお、ここで本文のこの箇所では、その内的状況・状態について「それは直観ないし表現と呼ばれる」という補足説明があるのだが、ここの「直観」の原語はintuitionなので、のちに出てくる直観説presentational theoryとの対比がなおさらわかりにくくなっている。)

※ちなみに松尾先生はnotionも観念と訳すので、ここでも観念説との混同を招くかもしれない。notionは「考え方」くらいの訳でいいと思う。

 

 他方、「直観説」と訳されるpresentational theoryは、〈芸術作品がもっている性質は、われわれが直接知覚できる(あるいは直接与えられる)性質だけだ〉とする説だ*1

 このpresentationをどう訳すかは、悩むところだ。「直観」という訳語を避けるのであれば、「現象説」とかでもいい気もする。ウォルハイム自身も21節の末尾で、presentational theory を説明するときに、芸術作品を“phenomenal” or “presentational” objectとする説だ、と説明している。

 

 

 最近の論者は、この種の説を語るさいにpresentationという語を使うことはあまり無い気がする(『分析美学入門』のステッカーも使っていない。この類の説を説明するときには、intentional objectとか、object-under-a-conceptionなどという説明をしている)が、

 20世紀中頃の分析美学者たち(たとえばビアズリー)はこの種の立場を説明するさいにpresentationという語を使っていた。ビアズリーのいうpresentationは個々の観賞経験ごとに現れるものである。よって、たとえば、一つの演奏会では多数のpresentationが生まれることになる。ビアズリーは、presentational theoryを、批評実践をカオスにするといった点で批判している。presentationについてのビアズリーの考え方は、SEPのまとめが参考になる。 https://plato.stanford.edu/entries/beardsley-aesthetics/

 

 

 哲学の他の文脈でpresentationを「直観」と訳す習慣があるのかもしれない。自分はあまり知らないので、もしそういう分野があるのだったら教えてほしい。

なお、カントの『判断力批判』の英訳(Guyer & Matthews訳)では、第一序論でカントがapprehensio, apperceptio comprehensiva, exhibitio,の3つの能力を区別する所で、exhibioがpresentationと訳されていた(第一序論VII節)。邦訳では、牧野訳では「描出」、熊野訳は「呈示」という訳語になっている。

 

 

2.芸術の歴史主義について

 今回読み直してひとつ発見だったのは、ウォルハイムがすでにレヴィンソン的な歴史主義のアイデアをはっきり提示していた、という点だ(60節~63節)。レヴィンソンの79年の論文 “Defining Art Historically”も見返してみたら、しっかり注の2で元ネタがウォルハイムであると書いていた。この論文の注の12ではウォルハイムとの相違についても少し述べている。ウォルハイムは「芸術の定義」というプロジェクトには基本的に批判的なようだが、ウォルハイムとレヴィンソンの「定義」観の相違については、検討してみてもいいと思う。

 (なお、ウォルハイムの邦訳ではこの話題をあつかう60節ではidentifyの訳語がぶれていて、ちょっと読みづらくなっている。60節から62節冒頭までは「認定」と訳されているのだが、62節末尾からは「同定」という訳語に変わっている。これらは同じ語なので注意。)

 

3.デザインおよび宣伝文句について

これについてはTwitterで言うべきことはいったので、ツイート貼り付けで。

 

 

*1:ちなみにここで「性質」と訳したのはpropertyだが、松尾先生はpropertyを「属性」と訳す派。