【告知】下記のイベントに出ることになりました。
宇宙開発フォーラム2019
9月14-15日(土、日)
東京大学 武田先端知ビル 武田ホール
先日のネタバレイベント@代官山蔦屋書店は立ち見が出るほど盛況に終わりました。
写真パシャパシャ撮ってたので、そのうちフィルカルHPにも記録が載ると思います。
で、次のお仕事ですが、一橋大学の哲学・社会思想セミナーでレクチャー講演をします。平日の昼ですが!
【第17回】一橋哲学・社会思想セミナー
【日 時】 2019年7月12日(金) 13:15-18:00
【場 所】 国立東キャンパス 第三研究館3階 研究会議室
【講演者】 森功次(大妻女子大)、村山正碩(一橋大学)
要旨は以下にupされてます。
http://www.soc.hit-u.ac.jp/~soc_thought/seminar17.htm
伝統あるセミナーにお呼ばれして光栄です。これまでの登壇者を見返してみるとあらためてビビる。いやー、自分のことはさておき、このセミナーいい人選でやってきてますよねー*1。
いちおう依頼としては「そこまでオリジナルな話をしなくてもいいので、院生向けに分野の状況解説をしてほしい」といった感じでした。なので、基本はドミニク・ロペスの議論を中心に紹介しつつ、理想的観賞者説をめぐる論争状況について解説する、という感じになると思います。
事前の参考読書としては、高田さんが昨年の日大でやったワークショップで発表したときの資料が一番いいと思います。ロペスの議論にも少し触れてるので。
ロペスの最新刊はかなり面白いので、オススメです(難しいけど)。現代の徳倫理学や価値論、grounding theoryなどの議論をバリバリ応用しながら、新しい美的価値論を提案していて、けっこうスリリングな本になってます。スノッブの話や、意見対立(disagreement)の話、美的選択の話など、現代美学のいろんなトピックと結びつけながら話が進められるので、「おー、この話とつながるのか!」みたいな面白さがいたるところにある。翻訳してちゃんと紹介すべき本だと思うんだけど、ロペスはけっこう表現が難解で、読める日本語に落としこむのがそうとう手間取りそうなので、ちょっと躊躇してます。任期なしの常勤ポストとれたらじっくり時間かけて翻訳するかもしれない。
Being for Beauty: Aesthetic Agency and Value
ともあれ、7月中旬までは頑張って準備します。
では。
※追記:2019年7月14日
終わったので、資料およびに発表原稿をupしました。
ご興味ある方はこちらからダウンロードどうぞ。
原稿: https://researchmap.jp/muzdvpax5-1833297/#_1833297
スライド: https://researchmap.jp/mupgs1bqk-1833297/#_1833297
今をときめく哲学文化雑誌『フィルカル』の最新号(Vol.4, No.2)は、「ネタバレの美学」という特集を組み、ネタバレをテーマにした論文を5本収録しています。
フィルカル Vol. 4, No. 2 ―分析哲学と文化をつなぐ―
論文のタイトルは以下のとおりです。
以下、宣伝も兼ねて、特集の序文を公開しておきます。
特集「ネタバレの美学」序文
特集「ネタバレの美学」をお届けする。
批評ブログや作品紹介記事などで、「ネタバレ注意(spoiler alert)」の文字を見ることはもはや珍しくない。ネタバレについての注意書きは、現代ではひとつのマナーになっている。最近では、ネタバレをきっかけとした暴力事件[1]、さらには殺人未遂事件[2]まで起こっているが、そうした事件の報道を聞くときも、多くの人は「過剰反応だとは思うが、まぁ気持ちはわかる」と同情めいた気持ちとともに、ある種のユーモラスな事件として受け止めているだろう(おそらく報道側も、深刻社会問題としてではなく、珍事件のひとつとして報じているはずだ)。まだ作品を見ていない人にネタバレ情報を伝えるのは避けるべきだ――これは、いまや一般的かつ常識的な考えになりつつあるように思われる。
だが本当にそうなのか。
周囲の友人に話を聞いてみても、「ネタバレはそこまで悪いものではない」「別に物語の筋をバラしてもらっても構わない」というネタバレ許容派がたしかに一定数いる。そして、その理由として挙げられるさまざまな意見は、どれもそれなりに合理的なものに思えた。曰く、ネタバレされてから見たほうが、作品の技法を十分に観賞できるし、作り手の工夫をしっかり味わうことができる。あまりにハラハラドキドキするのは嫌なので、事前にあるていど筋を知っておきたい、などだ。ネタバレをめぐる人々の態度は、実はまったく一様ではないのである。
とりわけポピュラーカルチャーの分野では、ネタバレをめぐる人々の動きはさらに複雑になる。映画やドラマなど、多額の資本が投入され商業的成功が強く望まれる分野では、あるていど作品の見どころを事前に流しつつ宣伝をやっていかないと、作品そのものが成り立たない。よってそうした分野では、トレーラーや番宣、監督インタビューなどをつうじて作品の情報がどんどん公開されることになる(「驚きの結末!」「皆が騙される!」というフレーズも、考えようによってはネタバレ情報だ)。ドラマ制作に関わる友人からは、「ネタバレっぽいカットが入ろうがなんだろうが、客を呼び込むことが第一」という意見も聞いた。じっさい、このラストシーンの映像をCMで流しちゃうんですか、と驚くようなこともしばしばある。
このように、ネタバレをめぐる人々の態度は実はかなりさまざまであり、しかもそのふるまいは、それぞれ合理的である(さらにネタバレ問題については、多くの人が自分の意見にやたら自信をもって語りがち、という奇妙な傾向もある)。この状況は、美学者から見て、非常に興味ぶかいものだ。ネタバレをめぐる各人の態度は気分や好みによるものではなく、それぞれの芸術観・価値観にしっかり支えられており、しかもその多様さがひとつの文化を形成している。ネタバレ問題とは、作品ジャンルや業界構造をふまえて生まれる非常にハイコンテクストな揉め事であり、しかも、それに対する態度の違いをつうじて、各人の芸術観、倫理観が浮き彫りになるものなのだ。読者の方々は、本特集で提示される論点を受けて、自身の価値観をもういちど見つめ直してみてほしい。
ネタバレとはかくも思考触発力の高い現象であるにもかかわらず、意外なことに、ネタバレに関する研究はあまり多くない。とりわけ、哲学・美学・倫理学の分野では、ネタバレに関する研究はほとんどないようだ(高田論文が紹介するように、心理学方面ではいくつか研究があるが)。おそらくネタバレという事象を本格的に検討しようとするのであれば、文学、歴史学、社会学なども含めた学際的な研究が必要になるはずなのだが、その段階に進むには材料がまだ圧倒的に足りていない。本企画は、あくまで来るべき総合的研究のためのワンステップとして、まずは哲学・美学方面から考察を試みるものだ。
以下、各論文の内容をざっと紹介しておく(ネタバレ注意!)。
まず高田論文では、作品に関するいかなる情報が避けられるべきか、なぜその情報を避けるべきか、が考察される。高田の答えは、ある種の情報は能動的観賞を妨げるので、避けられるべきだ、というものだ。高田はミステリー作品の観賞経験を分析することで、ネタバレ情報がいかにして作品観賞を邪魔するかを検討している。
次に渡辺論文では、なぜネタバレ情報がかように忌避されているのかの理由が探される。人々のふるまいを統一的・合理的に説明できる理由として渡辺が提案しているのは、認識論的な理由、すなわち「ネタバレ情報は認識論的に余計な負荷を引き受けざるをえなくさせるので忌避されている」というものだ。
森論文では、〈観賞前にあえてネタバレ情報を読みに行くこと〉の倫理的問題が考察される。ネタバレ容認派はネタバレ情報を事前に読むことをさまざまな仕方で正当化しようとするが、その正当化はうまくいくのだろうか。森はネタバレ容認派の裏側にある欺瞞的態度を指摘しつつ、自発的なネタバレ接触の倫理的な悪さを指摘した上で、さらにそこから現代文化に広まりつつあるネタバレ容認の空気について考察している。
松永論文は、この三者の論文をふまえてネタバレ問題を語るための概念整理をあらためて行い、さらにそこから各種のネタバレ事案の裏側にある規範、対立点を明らかにしていく。松永の分析によれば、ネタバレ非難を支える前提として、「美的自由の規範」「美的努力の規範」「作品語りの自由の規範」などの規範があり、ネタバレをめぐる揉め事は、これらの規範をどれだけ重視するかの差に起因しているのである。松永のあざやかな整理を経ることで、他の論考のポイントと射程もより鮮明に見えてくるだろう。
最後に竹内論文では、映画『ユージュアル・サスペクツ』についてのブログ記事を事例に、〈ネタバレ情報が語られる場面でどのような配慮が働いているのか〉が分析される。ネタバレ情報とは、作品未見のものに伝えることは憚られるが、既鑑賞者が感想を語るときには、作品の見どころを指し示すために必要な情報にもなるのだ。
以上が、各論文の簡単な内容紹介となる。どの論文も同じ「ネタバレ」という言葉を使ってはいるが、そこで考察されている事象・問題はそれぞれ別物だという点に注意してほしい。じつはこの企画を立てている段階では、私はネタバレについてかなり単純化して考えていたのだが、皆で議論を進めるうちに、「ネタバレ問題」にはかなり多様な側面があること、そして、それぞれの側面で考察すべきポイントが異なることを理解するようになった。ネタバレ問題がはらむ多面性を浮き彫りにできただけでも、本特集は意義あるものになったと思う。
ただし、本特集で扱うことができたのは、あくまでネタバレ問題のごく一端でしかない。美的・道徳的に良いネタバレとはどういうものか、ネタバレが毀損する徳とは何か、ネタバレをうまく避けて宣伝するにはどうやったらいいのか等、さらに考察すべき事柄はたくさんあるだろう。本特集が今後のネタバレ学の基礎となることを願う。
最後に本特集の成立までの過程を紹介しておく。本特集に先立ち、私たちは公開ワークショップ「ネタバレの美学」(2018年11月23日、大妻女子大学)を開催した[3]。ここに掲載する4本の論文は、その記録でもある(5本目となる竹内論文は、このワークショップにインスパイアされ後日投稿されたものである)。ワークショップ当日は、高田敦史、渡辺一暁、森功次、松永伸司の順で4名が発表をしたのち、稲岡大志氏の全体コメントを受け、その後、稲岡氏のコーディネートのもと、フロア全体でディスカッションを行った。今号にはディスカッションの詳細を載せることは叶わなかったが、関心ある方は当日の様子を記録したtogetter[4]、および『フィルカル』前号に掲載された報告記事(佐藤暁執筆)を参照してほしい。また、当日来場し議論に参加くださった方々、後日コメントをくださった方々にはここで改めて御礼申し上げる。
森功次
[1] 「『アベンジャーズ/エンドゲーム』のネタバレを劇場で叫んだ男性、激怒した観客に殴打され流血」https://theriver.jp/eg-spoil-hong-kong/
[2] 「南極で殺人未遂事件。トラブルの原因は「読みかけの本のネタバレ」か?」https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/31/antarctic_a_23576587/
[3] 会の詳細および趣旨文はこちらのブログに掲載してある。http://morinorihide.hatenablog.com/entry/20181002/p1
[4] togetter「ワークショップ「ネタバレの美学」2018年11月23日」https://togetter.com/li/1291459
序文は以上です。
2019年6月26日(水)には、フィルカル最新号刊行記念として、代官山蔦屋書店にてネタバレをテーマにしたトークイベント「ネタバレのデザイン」を開催します。19:00~。
登壇者は、仲山ひふみさん、松本大輝さん、僕の3名です。
フィルカル最新号は7/1発売なので、このイベントはかなり早めの先行発売会ともなります。
予約はこちらから。
①代官山 蔦屋書店 店頭 (1号館1階 レジ)
②電話 03-3770-2525 (人文フロア)
席に余裕があれば、当日直接来るのも可能なのかな?(予約が埋まってなければの話)
よろしくお願いします。