昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

帰省しますよ。

4/28〜5/7まで、福岡。
「帰りすぎやろ!」ってな突っ込みは甘んじて受けますが、勉強しないわけではないですよ。
むしろ場所に囚われないでいれる今だからこそ、長く帰れるのである。
ハイデガーは「死を自覚しろ」と言ったが、むしろ自覚すべきは「自分の死の可能性」ではなく「自分の周りの人の死の可能性」ではないか、と思う今日この頃。
親と過ごせる時間は、残り何時間か?とか思うと、まぁ、「帰れるときに帰るか」という気分にもなるわな。


(少し細かい話をすれば、ハイデガーは他人の死についても考察していて(『存在と時間』第47節)、そこでは「故人は、我々の「世界」を去って他界はしたが、その「世界」をあとに残していったのである。この世界の方からすればこそ、残された人々はなおも彼と共に存在していることができるのである。」(中公クラシックス版?巻p.260)と言われる。で、ハイデガーはここから、死っていうのは結局自分自身でしか体験できないものだから、他者の死じゃなくて自分の死こそが自己の本来性を獲得させるんだぜーって論理展開していくのです。死には代理可能性は無いという話。が、まぁ、「死んだ人とも共同存在してるよ」とか言われても、実際問題死んだ人とはもう一緒に会話したりとか遊んだりとかはできないわけで、このあたりから、ハイデガーの共同存在概念にまとわりついている主観的バイアスを読み取ることができるかもしれんなぁ、などなど、細かい話はどーでもいいから止め。ちなみに、サルトル先生はハイデガーを批判しつつ「自分の死なんか経験したときには死んでるんだから、理解も把握もできん。そんなもん本来性の基準にはならん。もっと今の周りの状況と自分自身の状態を見ろ。」と言っております。サルトルハイデガー解釈は浅いかもしれませんが、言いたい事は共感できます。だいたい、死の可能性を認識することが重要ってのはわかるが、いつも死を考えてろとか無茶言うなって思う。)





ユーロスペースでやってる「パークアンドラブホテル」が良かった、かなり。
周りは結構寝てるひといましたけど。
決して万人ウケするような映画ではないと自分でも思いますけど。
「俺、周りがつまんねーと思ってる映画をおもしろいと思うんだぜ。かっこいいだろ、エヘン」
という気持ちを差っぴいたとしても、オススメ。
とりあえず、見てみなよ。騙されたと思って。





楽天がいいチームになってて、非常にうらやましい。




追記:
誰かcutting loopの音源ウチから持ってってません?
地元の友達に渡そうと思ったけど見当たらない。
こういうとき部屋が整理されてないのは痛い。