昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

西村清和『感情の哲学――分析哲学と現象学』の感想

 恩師*1、西村清和先生の最新刊、『感情の哲学――分析哲学現象学勁草書房、2018年。
 少し前に、ご恵投賜っておりました。ようやく読みおえたので、ちょっと感想を書いておく。


 美学会の元会長が、東大定年後に國學院に再就職し*2その國學院の定年直前に仕上げた本*3、ということで、西村清和の(少なくともアカデミックポストにいる期間の)最終仕事、ということになるのだろう。なので「よーし西村美学の集大成か!」と期待して読んだのだが、結論からいえば、この本は美学の本ではなかった。哲学の本だ。美学は哲学の一分野なので、こういう書き方をするとちょっと変に聞こえるかもしれないが、要は、美学的な考察は最後の第七章にあるのみで、それまでの六章はバリバリの感情の哲学なのだ。詳しい目次はこちらをどうぞ。

 さらにいえば、美学的な考察を行なっている第七章は、ほとんどこれまでの西村美学の焼き直しでしかない。ウォルトンやカリー、モランといった分析美学の論者を西村美学の立場から批判する作業がメインで、西村美学の発展という意味では、おおきな進展はないと思う。(想像的抵抗をめぐる論点など、若干の新規論点はあるが、基本的な主張は『遊びの現象学』や『フィクションの美学』で出しているものと変わりはない。)
 なので、この本の学術的新規性は、むしろそれまでの六章にかかっていると言っていい。


 では、六章までをどう評価すべきか。正直言って、私にはこの部分を正当に評価できる能力がない。というか、かなり難しかった。まだちゃんと理解できてないと思う。
 まず、挙げられる文献が非常に多様だ。この本では、カント、ヒュームといった哲学の古典から、ハイデガーメルロ=ポンティ、リップス、シェーラーなどの現象学者、ライル、クワインデイヴィドソン、ルイスといった分析哲学のビックネーム、そしてプリンツやジェイコブソンといった現代の論者が(あと日本人哲学者としては柏端達也や金杉武司、村井忠康なども)矢継ぎ早に挙げられていって、ザクザクと検討される。その全ての論点を追いかけるのはとても大変だ。いやほんと難しいっす。
 

 この難しさはまずもっては私の知識の無さによるものなので、「すいません勉強します、、、」としか言えないんだが、ただこの読みづらさは、あつかっている内容が高度だというだけでなく、西村の書き方にも若干起因していると思う。西村先生は昔は読みやすい本を書く人だったが(『遊びの現象学』や『現代アートの哲学』)21世紀に入ると、だんだん難しい本を書くようになった。まぁこれは読み手を選ぶ書き方にシフトしたということでもあるので、一概に否定すべきことでもないのだが、それでも今回の著作に関していえば、「いやー、読み手限定しすぎでしょ」と思ってしまう。古典哲学や伝統的現象学から分析哲学の最新文献までフォローできている日本人がこの世にどれくらいいるのか。少なくとも、学部生にこの本を一読で理解させるのはとうてい無理だろう。難しすぎる。


 もう一点いっておくと、――これは西村先生の書き方の癖(著述のスタイルともいう)でもあるんだが――もうすこしナビゲーションをきちんとかいてくれてもいいのにな、とは思った。どの章でも、冒頭からいきなりいろんな論者の論点サーヴェイが波状攻撃的になされていって、その各所にチラチラと批判が入るのだが、最終的に西村がどういう立場を打ち出そうとしていて、今の論点整理の作業が何のためになされているのかが表明されないままその作業がなされるので、非常に読みにくい。最初に、「◯◯という立場を出すために、以下では似たようなトピックを論じているこの人達の論点を、●●の観点からまとめていきますよ」といったナビゲーション的記述を入れてくれるだけでだいぶ読みやすくなると思うのだが。まぁ西村先生は、こういう「道しるべ」を冒頭に書くのを嫌う人なのでなぁ、、、今回はこの好みがかなり悪い方向にあらわれてしまった気がする。(あと、この段落長すぎじゃないですか、という箇所がけっこうあった。一段落に「他人の論点のまとめ」と「批判」「自説の展開」「自説の敷衍」が詰め込まれると、読み手としてはけっこうつらいです。)
 
 
 ただ美学的な考察をやっている第七章は、けっこうスラスラ読めた。これは、僕がこれまでの西村の著作を読んで西村の立場をそれなりに理解していたし、分析美学の知識もそこそこもっていたからだと思う。なので、それまでの各章も、その分野を専門とする人にとってはそう読みにくくないのかもしれない。上記の「読みづらかった」というのは、あくまで知識のない者が一読したあとで持った感想だ、ということをお断りしておく。



 これから読む人向けに、西村の基本的立場を(かなーり暴力的に)まとめておくと、基本的には「感情の哲学をやるのなら現象学的な一人称視点を重視しようぜ!三人称視点で感情を語ると「自己性」や「情態性」といった大事な事実性が抜け落ちるよ!」というのが西村の立場だ(繰り返しますが、これはかなり乱暴なまとめです)。その意味で、この本は「現代現象学*4」的著作といってもいいし*5、その現象学ベースの立場から、命題的態度といった道具立てや、「すべてを考慮した最善の判断」「感情移入」といったさまざまな考え方が批判されていく。この西村の基本姿勢を最初に頭に入れておくと、少しは読みやすくなると思う。


 とはいえ、読みにくいからといって、哲学的な中身が悪いということにはならない。そしてこの本は随所でかなり大事な論点を出していると思う。
 巷によくある薄っぺらい分析哲学批判ではなく、きっちり論点をくみ取った上での明確な批判がなされているので、その意義については自分も読み直しながらしっかり検討したい。そして、分析系の哲学者たちがこの本にどう応答するのかは、僕としても非常に気になる。先日『情動の哲学入門』を出された信原先生とかはどういう感想をもたれるんでしょうか*6。また逆に言えば、分析哲学を批判したい現象学者のひとたちにとっては、とても参考になる論点が提示されていると思う(3500円+税と、価格は安いのでぜひ多くの分野の人に読んで検討・批判してもらいたい)。


 そして称賛せずにはいられない点を再度述べておくと、挙げられる文献の多様さは本当にすごい。この本は、たんに年配の先生がいままでの蓄積をつめこみました、という本ではない。西村先生は、感情の哲学にとりくむために、あらためてかなり勉強をしている。あの年齢になってもここまでたくさんの文献を読みまくって本を書くところは、心から尊敬するし、偉大な能力だと思う*7
 まだ知識の浅い自分には、この本の真価はわからないので、これがいい本なのか悪い本なのかの結論はちょっと出せない。ただ、すくなくとも今後事あるごとに読み返す本だとは思う(そして西村先生の本は、だいぶあとになって「うわー、実はめっちゃいい本じゃん」となることが多いので、油断ならない)。

*1:修士、博士課程での指導教官

*2:すこし間が空いたので「異動」ではない。

*3:印刷期間もあるので発売は4月だったけど。

*4:現代現象学って何?という人には、『ワードマップ現代現象学』という良書がありますので、それをオススメしておきます。

*5:もしこの本の書評を依頼するのであれば、こうした哲学的立場を正当に評価できる人に頼むべきだろう。間違っても美学者に書評を頼んではいけない。

*6:科学哲学会とかで書評会とかやればいいと思うんだけど、西村先生が科学哲学会の会員じゃないからなぁ。

*7:ただ、こんなにたくさん人名ならべるのなら、せめて人名索引はつけてほしかった……ここは勁草の編集者の関戸さんが勇気を出してガツンと「先生、索引は付けましょう!」言うべきところだったのではないか(まぁじっさいには、編集者「索引は付けなくていいですか」、著者「もうめんどうだから索引はいいです」といったやり取りがなされたのではないか、と想像するが。もしくは印刷前の時間的締め切りが厳しくて索引作る余裕がなかったとか)。索引なし、文献表なしでop.citで文献参照されると、探すの大変なんだよな……