昆虫亀

森功次(もりのりひで)の日記&業務報告です。

『分析美学入門』解説エントリ、その3、日本語で読める分析美学1

『分析美学入門』解説エントリ、その3です。
前回から少し間があきました。まぁあまり焦らず、気が向いたら書くという感じですこしずつ続けていこうかなと思います。


各章の解説や補足など書いていくつもりだったのですが、ちょっとその前に今回は、『分析美学入門』を読んでもう少し分析美学について知りたいなーと思った人のために、日本語で読める分析美学の文献をすこし紹介しておこうかなと思います。

※追記:2019年から「分析美学邦語文献リーディングリスト」を作成し、公開しています。そちらもどうぞ。



あとがきにも書いたように、残念ながら分析美学関係の文献は翻訳があまり進んでおりません。『分析美学入門』の文献表ページに、邦訳のあるものは載せておりますが、そんなに多くはないのですね。ほんとは分析哲学みたいに基礎論文集を数巻組で出したいのですが、昨今の出版事情のせいか、数巻組の翻訳論文集とか出してくれなさそうです。困りましたねー。
ただそれでも、日本語で読める文献が無いわけではありません。
これを機会に読めるものをいろいろまとめておくのもいいだろう、と思ったので、以下いろいろ列挙していきます。(これもあるよ、とか、これ入れてないのはおかしいだろ、とかそういう指摘があれば、じゃんじゃんお寄せ下さい)。



まずは、分析美学がどのように日本に紹介されてきたかが分かるものとして、

の三冊を挙げておきます。*1
基本的にサーヴェイ的なものが多いし、そんなに新しい知見が紹介されてるわけでもありませんが、日本にどのように分析美学が紹介されていたのかが読み取れます。
とくに金さん(現:竹中さん、立命館大学准教授)の本は、日本とアメリカの美学会の動向とかが書いてあって、哲学史的に面白いです。
ちなみに金さんにはこういう論文もあります。

  • 英米美学と現代美術――分析美学とポップ・アートをめぐる試論」『美と芸術のシュンポシオン』勁草書房、2002


あと論文では

とかもあります。
「美学のわびしさ」というのはパスモアの1951年の “The Dreariness of Aesthetics”という論文以来、いろいろ言われておるのですが、まぁこの20世紀末という時期は「分析美学」というものについて英語圏でもいろいろ反省的考察が行われていた様子。シュスターマンとかがその辺の分析美学批判の筆頭になってたっぽいです。まぁシュスターマンは日本でもいくつか翻訳が出てて人気あるっぽいですのが、その後シュスターマンがその後やってる「プラグマティストの美学」とか「ソーマエステティックス」とかが他の英語圏の論者とくらべてどう違ってどう発展してるのかってところは、各自自分で考えましょう*2ちなみに、最近出た論文集New Waves in Aesthetics (eds.)Kathleen Stock and Katherine Thomson-Jones, 2008では序文で「美学はわびしいとか言われてたけどそんなことなくね?」といったシュスターマンへの反論が書かれてます。この論文集は、まだわたしちゃんと読んでないですが、タイトル通り英語圏美学の新しい動きを紹介する論文がいろいろ載ってて面白そうです。ただ、くっそ高い。



話がそれました。
つぎに『分析美学入門』の各章にそって、日本語で読める文献をいくつか挙げておきます。*3


2章 環境美学
環境美学については、西村清和『プラスチックの木で何が悪いのか』が既にあります。この本のもとになった論文は、東大のリポジトリでいくつか読めるものがあります。

あたりでしょうか。
あとカールソンが美学会の全国大会で講演したときの原稿も東大の紀要でリポジトリ化されてます。

なお、カールソンが援用したウォルトンの論文「芸術のカテゴリー」は翻訳を発売しました。
こちらのページから購入できます。K. Walton「芸術のカテゴリー」|morinorihide|note
解説はこちら 


3-4章 美的経験・美的性質

この分野についてはちょっとむずかしい。というのも美的経験について、美学者たちは「分析美学」とか始まる前からずっと考えてて、その意味では蓄積はわんさかあるのです。カント美学研究とかは、日本語でもかなり良質のものが読める。
ただ、英語圏の最近の議論がちゃんと紹介されていたかというと、やっぱあまりありません。そもそもシブリーが訳されてない時点で、日本の美学者なにやってんだよ、という気分にもなる。それでも、紹介がないわけではありません。
松崎俊之さんがここ数年この問題について論文をすこし書いてます。

あと最近、立命館の田邉健太郎さんが一本論文書きました。

あと、今井晋が以前立命館大学でレクチャーしたはず・・・と思ってたら資料上がってなかった。死に舞さん・・・


5章 芸術の定義

ヴァイツや、ダントー、ディッキーの議論については、日本でもちょこちょこ紹介はされておりました。先述の金さんの本や、シュスターマンのポピュラー芸術の美学の最初の方でも触れられてますし、他にもいろんな本で彼らの議論は触れられてます。
1990年台半ばにはいくつか翻訳もありました。

あと『美学:ジェンダーの視点から』とか*4。「アートワールド」という言葉は、耳にしたことある方も多いと思います。
ダントーについては芸術の定義についてではないですが、いくつか翻訳があります。

  • 「芸術の終焉の後の芸術」 高階秀爾訳, 『中央公論』 1995年4月.
  • 「『芸術界』ふたたび」 高階絵理加訳, 『すばる』 16巻12号, 1994.

最近では、ゴートのクラスター説については、論文がいくつかあります。『分析美学入門』第五章の訳注でも触れたけど、

です。他には以前、北野先生が美学会の例会で芸術の定義について発表してたのだけども、まだ論文化はされてない模様。

※少し追記
じつはマゴーリスが1997年に来日したときにこのテーマで講演してて、それは安西信一訳でブックレットの形で翻訳が出てます。広島大の比較文化研究講座の発行。ただ発行部数少なすぎたのか、超希少本です。おそらく買うのは無理。そもそも売りに出してないんじゃないか。書誌情報だけあげときます。

  • ジョーゼフ・マーゴリス『結局のところ、芸術作品とは何か。』安西信一訳、比較文化ブックレット3、1997年

ヴァイツ(ワイツ)の「美学における理論の役割」が発売されました!必読!
こちらのページから購入できます。M. Weitz「美学における理論の役割」|まつなが|note


6章 芸術作品の存在論

この辺は最近、音楽の哲学がらみでちょっと盛り上がっております。まぁ20世紀末から2000年代にかけては、音楽の哲学が一気に盛り上がった時代なのです。
日本語文献としては、古くはマゴーリスの翻訳があります。

  • ジョセフ・マーゴリス「藝術作品の同一性」『藝術哲学の根本問題』新田博衛編、晃洋書房、1978。

最近では、立命館大学の田邉くんがいくつか論文を書いてるし、次の『美学』にも論文が載る模様。

あと

この論文をめぐっては、ポピュラー・ミュージック学会でも以前シンポジウムがなされてましたし、今もポピュラー音楽の存在論にいてはホットな議論が続いております。今年もポピュラー・ミュージック学会で何かやるとかやらないとか。


※追記
あとこれは英語圏のものではないけど、この分野では基礎文献。翻訳あります。

あと藤川直也さんの論文も忘れてました。

※2013/06/26
忘れたのでもう一個追加。キヴィの演奏論についてです。


※2013/07/14追記
そういや倉田さんの論文忘れてました。


※2013/11/27追記
こういう本が出てました。

ここにリディア・ゲーアがグッドマンとジフの論争について論じた論文「音楽作品の唯名論的理論」が収録されてます。
著名な分析美学者であるピーター・キヴィの論文「意図としてのオーセンティシティー」も入れられてますので、興味あるひとはどうぞ。
本全体の目次はこちら http://www.keio-up.co.jp/np/detail_contents.do?goods_id=2677
ただ、訳が少し微妙らしく、群馬県立女子大の北野先生が誤訳についてブログで連続エントリを挙げてます。
こちらも合わせて読むと良いかと。北野研究室: リディア・ゲーアの「音楽作品の唯名論的理論」(1) 


グッドマンについてはいくつか学術論文もありますが、同人誌『筑波批評2013春』に載ってる解説が一番まとまってて、わかり易い気がします。
これは買って損はないです。
http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20130419/1366382424



疲れたので、今回はここまでにします。

続き


なお、誤植表は随時アップデートされております。本書を読まれる前にぜひいちどご確認ください。→ → 『分析美学入門』正誤表

*1:竹内敏雄編『美学事典』の増補版にも531ページ以降にすこし分析美学の紹介(執筆者は利光功)があるけど、『美学新思潮』での川野洋の紹介と内容はほぼ同じ。

*2:正直、個人的には、最近のシュスターマンの議論の進め方はなんかもう雑すぎてあまり読む気しない。「これまでの美学は芸術しか扱ってこなかった」とか「理性主義に陥ってた」「身体性を無視している」とか議論の枕で言われても、もうなんか萎える。自説を擁護したいがために既存の研究を歪小化する論法は、たいてい非専門家向けのパフォーマンスでしかないし、哲学史的には誤ってることが多く、結局はのちの読者にとっては害が大きいのよねえ。そういう個人的パフォーマンスはやめて皆でちゃんと議論するのが英語圏哲学の良い所ではなかったのですかね、という気分になるのであります。蛇足。

*3:あと、『分析美学入門』では隠喩metaphorに関する議論についてあまり触れられてないので、この各章に沿った紹介のしかたでは触れられないのですが、分析美学には隠喩論にもけっこう蓄積があります。そして隠喩論の幾つかの重要文献は翻訳があります。 『創造のレトリック』 佐々木健一編, 勁草書房, 1986.を読みましょう。

*4:これの訳ついては北野雅弘先生がすこしコメント書いてる。http://www.page.sannet.ne.jp/kitanom/texts/korsmeyer1.html